「蝶野正洋の黒の履歴書」★おいオヤジたち、一緒に立ち上がるぞ!

週刊実話

「蝶野正洋の黒の履歴書」★おいオヤジたち、一緒に立ち上がるぞ!

 今回から『週刊実話』に連載させてもらうことになった、蝶野正洋だ。

 俺を知らない読者もいると思うから、まずは自己紹介しようと思うんだけど、そもそも今の俺の肩書は何なんだっていうのがある。

 プロレスファンは俺のリングでの活躍を覚えてくれてるけど、若い世代には、年末にビンタするオジサンだと思われてたりするんだよ(笑)。

 いま俺は東京MXテレビの『バラいろダンディ』という番組でMCをやらせてもらってるから、テレビタレントという部分もあるし、20年前に妻のマルティナと立ち上げた「アリストトリスト」というアパレルブランドの代表取締役という立場もある。他にも講演活動や、地域防災・AED救急救命の啓発活動なども行っている。様々な顔を持ってるけど、俺の根本はやっぱりプロレスラーだよ。

 俺は1984年に新日本プロレスに入門した。武藤敬司選手、橋本真也選手とともに「闘魂三銃士」として売り出され、1991年に開催された真夏のビッグイベント「G1クライマックス」で優勝して、トップレスラーになることができた。

 だけど、俺は元・不良の血が騒いだのか(笑)、反体制側にまわって悪役になった。蝶野=黒い服でサングラス、というイメージになり、ヒール軍団「nWoJAPAN」を結成してブームを巻き起こしたんだ。

 2010年には新日本プロレスを離れて、フリーとして活動している。いまもプロレスに関わることがあるけど、もう5年ほど試合はしていない。

 プロレスラーとして正式な引退試合を行っていないし、セレモニーもやっていない。だけど、もうリングに上がることはない。体がボロボロになってしまって、試合ができないんだ。

 俺は現役時代、受け身に自信があった。でも、どんなに上手くて頑丈なレスラーでも、試合を続けていけばダメージが蓄積されて、どこかが壊れる。普通の人なら、後ろから打撃を受けるなんて人生に1回あるかないかだろ? そんなことを毎日バンバンやってたら、それは脊椎を痛めるよな。

 いまも座骨神経痛を抱えているし、ヒザも両ヒジも、肩の腱も切れてしまっている。左目の焦点も合わなくなってきた。体のメンテナンスはしてるけど、プロレスは実質的に引退したといっていい。

 俺はいま55歳だ。『週刊実話』の読者なら分かってくれると思うけど、今の時代、50代がいちばんキツいよな。体にはガタがくるし、その肩には様々なものがのしかかっている。会社員なら、出世競争のイスは決まってくるし、下からは突き上げもある。

 いままで社会や組織に対して、体を酷使して頑張ってやってきたのに、なんでだよって気持ちになるよな。

 でも、いざ何かあったときに上も下もカバーできるのは、この世代なんだよ。体を張ってきたぶん、まだまだやれることはあるし、そういう役割は絶対に出てくるから、その時のためにも刀を錆びさせずに磨いておいてほしいよな。

 今回は控えめにしておくが、次回からは俺の“生き様”をやりたい放題に語らせてもらうから覚悟しとけ。
 最後にこれだけは言っておく。おい親父たち、立ち上がるぞ。俺たちに明日はない!

 おい親父たち、一緒に立ち上がるぞ!

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蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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