美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【中・戊辰戦争編】 (3/5ページ)

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しかし、風雲急を告げる時代の奔流が、徐々に琴たちの傍近くまで迫っていきます。

ついに暴発!江戸薩摩藩邸の焼き討ちに参戦

慶応三1868年ごろになると、倒幕の野心を露わにする薩摩・長州による幕府への挑発がエスカレートし、ついに江戸市中の警護に当たっていた庄内藩や新徴組の屯所(とんじょ。詰所)も襲撃を受けます。

事ここに至って、もはや堪忍袋の緒が切れた庄内藩は12月25日、軍監・石原倉右衛門(いしはら くらゑもん)を総大将に、上山藩・鯖江藩・岩槻藩・出羽松山藩と共同で兵一千を率いて江戸薩摩藩邸に進軍。

江戸薩摩藩邸へ逃げ込んだ襲撃犯の引き渡しを求めるも拒絶されて交渉決裂、激しい戦闘の砲火によって江戸薩摩藩邸は焼亡してしまいました。

一方の新徴組は薩摩藩・島津家の支族である日向佐土原藩邸の襲撃を担当。琴や貞祇も果敢に斬り込み、大いに活躍したそうですが、この戦闘で琴は左の踵(かかと)を斬られてしまいます。

この戦闘による死者は幕府側が11名、薩摩側が64名。薩摩藩が匿っていた過激派浪士112名を捕縛するなど大戦果を上げましたが、この事件が戊辰戦争(ぼしんせんそう。慶応四1868~明治二1869年)の引き金となり、日本を二分する大規模内乱の火蓋が切って落とされるのでした。

恩に報いる為ならば……庄内戦争でも大立ち回り

明けて慶応四1868年、鳥羽・伏見の戦い(1月3日~6日)で幕府軍が敗れると、新政府軍は幕府の譜代大名としてあくまでも徳川将軍家に忠誠を貫く庄内藩を追討するよう東北諸藩(山形藩、秋田藩など)に命じます。

これは主君の一大事とあって、日ごろ恩義に与ってきた新徴組は江戸在勤の藩士らと共に一路庄内へと急行しますが、その道中、貞祇は左足をかばって歩く妹を案じて、帰郷を促します。

「琴よ。お前はもう十分に戦(たたこ)うた。

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