実はサクランボは桜の木の仲間。そして山形県がサクランボの名産地になった理由 (2/3ページ)
山形のさくらんぼ産地である村山盆地は周囲を高い山に囲まれた盆地で、梅雨期の降水量は県内でも一番少なく、周囲を高い山に囲まれた盆地でなので台風でも強い風は吹かない地域です。
また、ミザクラは、一定の温度以下の寒い冬の期間(休眠)が必要で、寒い冬を越さないとしっかり着果出来るような花が咲かなくなるので、ある程度寒い地域で栽培しなければならないという特徴もあります。
村山盆地が、山いっぱいの盆地であったからこそ、山々にまもられて、梅雨に降水量が少なく、特に台風の被害が少なく、夏暑くて、雪が多いこの山形特有の気候こそがサクランボの産地に育てた大きな要因と考えられます。
山形県の盆地のこのような特徴に加えて、サクランボの栽培を山形に根付かせようとした先人たちの努力もありました。
サクランボが山形県にやってきたのは明治8年(1875)のこと。東京から、洋なし・りんご・ぶどうなどの苗木にまじって、3本の苗木が入ってきました。明治9年(1876)には、初代の山形県令三島通庸(みしまみちつね)が、北海道からりんご・ぶどう・さくらんぼの苗木をとり寄せ、これを栽培しました。さらに明治11年(1878)、寒河江市では果物の外来種試験場をつくりサクランボも育てています。
これら先人の粘り強い努力と試行錯誤の結果、山形県でも恒常的にサクランボを生産することができるようになりました。
このような「地の利」と「人の利」があったからこそ、山形県は日本一のサクランボの生産量を誇ることができるようになったのでしょう。
私達が食べる甘く小さなサクランボには、このような明治初期の日本人の努力が秘められているのです。