3代将軍・徳川家光の男色がきっかけ!?江戸時代の大奥が巨大ハーレム化した驚きの理由

今なお時代劇などで多く映像化され、人々の心をとらえ続ける「大奥」。私たちがよく知っているのは将軍専用の巨大ハーレムとして厳格に整備された大奥ですが、もともとは将軍の家族の居住地としての役割のみで、家康の時代にはまだ男子禁制等の厳しい掟はなく、役人の男性も出入り自由でした。
では大奥はどうしてハーレム化したのでしょうか?事の発端には、ある1人の悩める将軍がおりました……。

千代田之大奥 歌合 橋本(楊洲)周延画 Wikipedia
大奥は徳川家光のためにハーレム化した!?実は今私たちがよく知る大奥のかたちはそもそも、3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)のために作られたのです。きっかけは家光の結婚でした。
家光は寛永元年(1624)、正室に鷹司孝子を迎え、祝言をあげました。これで天下も安泰、そのうち世継ぎも生まれるだろう…という周囲の期待もよそに、家光は孝子に全く興味を示しませんでした。
興味をしめさないどころか彼女を拒否すらしており、2人の仲は誰が見ても最悪でした。その後も2人の関係が修復されることはなく、しばらく経つと家光は孝子に対し、事実上の離婚を言い渡します。
この事は2人のどちらかに非があったわけではなく、実は家光は男色家だったのです。家光は、部屋でこっそり女装していた現場を目撃された事もあったそう。世継ぎばかり求められる日々は苦痛だったことでしょう…。
家光の乳母である春日局、動く!焦ったのは周囲の人々です。このままでは世継ぎが生まれずに徳川の血が途絶えてしまう。電光石火のごとく動いたのは、家光の乳母である春日局(かすがのつぼね)でした。
春日局は乳母に採用されて以来生半可ではない愛情を家光に注いできた人物で、家光が将軍に選ばれなくなりそうになった危機すらも回避してのけた人物なので、もちろん今回も手を尽くさないわけがないのです。
もともと低い身分の出身だった彼女は、なんと自ら市井に出て、身分や職業を問わず様々なタイプの見目麗しい女性を見つけてきては大奥に送り込みました。
大奥をつくった春日局。男色好みの家光を女性に目覚めさせた功績はあっぱれ数撃ちゃ当たる精神で、小姓や家臣ばかりを寵愛して女性に興味を持たない家光のために大勢の美人を大奥に取り揃えたのです。ある意味モンスターペアレント!
その甲斐もあって見事家光の好みの女性が見つかり、なんとか世継ぎが誕生します。こうして大奥は春日局によって巨大ハーレムのようなかたちに整備され、後世にその伝統が引き継がれてゆくのでした……。
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