悲惨なニュースを読んだ時に陥りがちな3つの勘違い (2/2ページ)

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・悲惨なニュースとの向き合い方
■立ち止まった後、そこから潔く立ち去ること
パイル氏は上記3つの過ちに気が付いたのち、その解決方法を見出した。それは単純なものだった。ちょっとだけ立ち止まって考え、あとは立ち去ることだ。延々と深追いしていったら、それに飲み込まれていってしまう。
でも泣くことは許される。悲しみや苦しみはリアルだし、我々の周りのいたるところにある。世の中は一年中、365日悲しい出来事であふれているけれど、同時に希望に満ちあふれている。
聖書の一節に、こんな言葉がある。
悪に屈するな。善で悪を克服せよ。(ローマ書12:21)
悲惨なニュースを目の当たりにした時、ある時点でテレビを消し、パソコンを閉じ、スマホを見るのをやめよう。
手の届かない場所で起きた出来事に介入することは不可能だ。当事者でなければわからないこともある。誰かを責め、暴言を吐いたところで解決する問題ではない。
■議論以外の自分にできる何かをすること
遠くのニュースでも関われる場合もある。災害関係や救済関係など、ボランティア募集や、寄付金の窓口が開いている場合がある。何の意味もなさない無駄な議論に熱くなっている暇があるなら、即行動に移すことだ。
とは言え介入不可能な悲惨なニュースはたくさんある。そんなときは、自分のまわりの小さな世界を手助けする人間であることを心がけることだ。
自分が住む地域の中で、自分にできる範囲のことをする援助者になることは誰にでもできるはずだ。その援助を待っている人がきっといる。
それに気が付くことができれば、悲惨なニュースから最大限の教訓を得られたことになるし、やるせない脱力感、無力感から脱することができるはずだ。
■追記(2020/07/18):2014年7月に掲載した記事を再送してお届けします。