悲惨なニュースを読んだ時に陥りがちな3つの勘違い

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悲惨なニュースを読んだ時に陥りがちな3つの勘違い
悲惨なニュースを読んだ時に陥りがちな3つの勘違い

悲しいニュースとどう向き合うか?/iStock

 日々飛び込んでくる、災害、事件、事故などの目をそむけたくなるような現実を伝えるニュースは心に重くのしかかる。米テレビ局、NBCで番組制作をしていたネイサン W. パイル氏は、常に悲惨な現実に直面していかなければならなかったという。

 そのうちパイル氏は、そういった悲しいニュースに目をするとき、陥りがちな3つの間違いに気が付いたそうだ。
・1. いつまでも読み続け、深追いしてしまう

 悲惨な話の大筋をつかんだ後でも、ノートパソコンの画面を閉じたり、TVを消すことができない。続編や、そのニュースにまつわる意見記事を読み続けてしまう。例えば、 " いったい誰の責任なのか?” もしくは、" なぜこんなことが起こったのか?" 深追いをせずにはいられなくなる。

 すでに才能溢れる人々がこれらの疑問に取り組んでいると思いながらも、まだそのニュースを読み尽くさなければ気が済まない。無意識に、"どんなにささいなものだっていい。情報収集に向けられる私の絶え間ない努力は何かの役に立つ。"と、思ってしまう。


・2. 身近にある現実は見て見ぬふり

 朝、自宅近くでやっている"食料の配給"を求め、飢えに苦しむ人々が作る長い行列を何気なく通り抜けながら、携帯で悲惨な話題のニュースに没頭する。自分の周囲にある苦しみのことをすっかり忘れてしまい、遠くの悲惨なニュースにばかり気を取られているのだ。

 遠隔地の出来事として悲惨な事件や悲しい話題を考えるとき、自分が直接影響を及ぼすことができる世界、つまり実際の生活圏にある現実を拒否してしまう。


・3. 何もできない自分に打ちのめされる

 助けたくてもその方法がわからない。泣きたいけれどそれもなんだか違う気がする。自分が知りたいのは "全てがうまく行く" ことだが、単純にそうはならない。そのうち心の中は恐怖と幻滅の渦巻きになり、自分がどうしていいか分からないことに怒りさえ覚える。

悲惨なニュースとの向き合い方
iStock

・悲惨なニュースとの向き合い方

■立ち止まった後、そこから潔く立ち去ること
 パイル氏は上記3つの過ちに気が付いたのち、その解決方法を見出した。それは単純なものだった。ちょっとだけ立ち止まって考え、あとは立ち去ることだ。延々と深追いしていったら、それに飲み込まれていってしまう。

 でも泣くことは許される。悲しみや苦しみはリアルだし、我々の周りのいたるところにある。世の中は一年中、365日悲しい出来事であふれているけれど、同時に希望に満ちあふれている。

 聖書の一節に、こんな言葉がある。
悪に屈するな。善で悪を克服せよ。(ローマ書12:21)

 悲惨なニュースを目の当たりにした時、ある時点でテレビを消し、パソコンを閉じ、スマホを見るのをやめよう。

 手の届かない場所で起きた出来事に介入することは不可能だ。当事者でなければわからないこともある。誰かを責め、暴言を吐いたところで解決する問題ではない。

■議論以外の自分にできる何かをすること
 遠くのニュースでも関われる場合もある。災害関係や救済関係など、ボランティア募集や、寄付金の窓口が開いている場合がある。何の意味もなさない無駄な議論に熱くなっている暇があるなら、即行動に移すことだ。

 とは言え介入不可能な悲惨なニュースはたくさんある。そんなときは、自分のまわりの小さな世界を手助けする人間であることを心がけることだ。

 自分が住む地域の中で、自分にできる範囲のことをする援助者になることは誰にでもできるはずだ。その援助を待っている人がきっといる。

 それに気が付くことができれば、悲惨なニュースから最大限の教訓を得られたことになるし、やるせない脱力感、無力感から脱することができるはずだ。

■追記(2020/07/18):2014年7月に掲載した記事を再送してお届けします。
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