急逝「アイドル発掘王」ジャニー喜多川の遺言(1)中居だけに打ち明けた“予言” (2/2ページ)

アサ芸プラス

「実はジャニーさんが晩年に最も気をもんでいたのが、ジャニーズJr.と呼ばれるデビュー予備軍。10代から一生懸命レッスンに打ち込んできたのに、なかなかデビューの機会に恵まれず、気づけば30代になっていたというケースもザラ。おまけに歩合のギャラも交通費程度で、とても生活は成り立たない。そういうジュニアたちのために、ジャニーさんが新会社の社長に据えたのが滝沢でした」

 ジャニー氏の肩書は「社長」だが、実務を取りしきっていたのは、姉のメリー喜多川副社長(92)と、その娘・藤島ジュリー景子副社長(52)だった。

「ジャニーさんのもとに多くのジュニアから相談が持ちかけられました。ジャニーさんはメリーさんにジュニアのメンバーをデビューさせたいと直談判するも、『ジャニーは黙ってて』と聞き入れてもらえなかったそうです」(プロデューサー)

 予備軍を抱えていてもデビューさせられず、満足に給与も払えない。そんな窮状を救うべく、滝沢に白羽の矢を立てたのだ。

「ジャニーさんが特に目をかけていたのが、ジュニア内の9人組ユニット『Snow Man』でした。滝沢は彼らを売り込むために、みずから愛車のベンツを運転して、テレビ局回りをしていました」(プロデューサー)

 だが、滝沢の「売り出し作戦」には大きな障壁があった。芸能プロ幹部が語る。

「どんなタレントもテレビに出るかぎりは、ジャニーさんのもとを離れて、メリーさんの預かりになるのが通例。だから、テレビの仕事で何か問題があっても、生みの親であるジャニーさんに頼れないというジレンマがあったようです。滝沢がやろうとしている改革の肝は、そうした慣例を取っ払って、育成からマネージメントまで一貫して行う点にある。要するに、テレビというメリーさんの縄張に踏み込んでいくわけだから、軋轢が起きてもおかしくない」

 滝沢は新会社だけでなく、ジャニー氏とメリー氏の「確執」をも引き継ぐ形となった。

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