女子アナが溺れた「背徳の不貞」30年史<壮絶な修羅場編>公開処刑だった徳永有美の「ウッチャン降板」 (2/2ページ)
「彼女の実力もあるが、出入り禁止状態となっているテレ朝側が売れっ子の内村を呼び戻すための伏線ということも考えられる」(石川氏)
徳永の2期先輩である吉元潤子(45)は、97年に体操の五輪メダリスト・池谷幸雄との不倫が発覚。1年以上もの謹慎を強いられた末に、別の男性と結婚。入社からわずか6年後の02年に退社している。
女子アナブームの火付け役の一人であった故・有賀さつき(享年52)は、95年にみずからの不倫を雑誌で赤裸々に告白。
「会っただけで、彼の声を聞いただけで幸せなんです。どうなっても悔いはない」
そのお相手は、妻も3人の子もいる芸能プロ社長であった。さらに有賀は会見を開き、懇願する。
「将来は結婚して子供も産みたい」
この言葉にお相手の夫人が激怒し、また、女性層からも激しいバッシングを受ける。結局、有賀の略奪婚はかなわず、心労で風邪をこじらせてマイコプラズマ肺炎になってしまった。
同じフジの近藤サト(51)は、98年に歌舞伎俳優・坂東三津五郎と不倫の流れで略奪婚に成功したが、
「前妻の寿ひずるとの間に3人の子供がいて、特に長男は坂東巳之助として跡目を継いだ。そのため、近藤はお家騒動に巻き込まれて子供を産むことがかなわず、それを不服として別れちゃったね」(石川氏)
離婚後の近藤は、わずか3カ月後の00年7月に長嶋一茂の事務所社長と10分間もの車中キスをスクープされる。三津五郎の襲名披露興行の演目発表の当日だったことを思えば、優柔不断な前夫への当てつけだったのか‥‥。