屈辱に耐える苦行?こだわりを捨てる?お寺のお坊さんはなぜ坊主頭にしているの?
お坊さんといえば、丸坊主に袈裟姿。その姿は、どんなに混雑した人ごみののなかでも、見つけることは容易です。そして、その姿を見ただけで、大抵の人は初対面でも、彼の職業までもが分かってしまいます。
ところで、お坊さんが出張授業などで学校などにいくと、学生に一番多く聞かれる質問のひとつが
「どうしてお坊さんは丸坊主なんですか?」
というものだそうです。
いわれてみれば不思議ですよね。「お坊さん」といっても、すべてのお坊さんが頭を剃っているわけではありませんが、お坊さんが頭を剃るのは、こんな理由があります。
屈辱に耐える苦行のため?そもそも仏教の開祖はお釈迦様(ブッダ)。お釈迦様が生きた古代インドでは、丸坊主は最大の屈辱で、罪を犯した者に対する一種の刑罰でした。釈迦が修行に入るとき、自ら髪の毛を剃ったのは、丸坊主という屈辱に耐えるという苦行のためだったといいます。
また、仏教の目標が「苦」からの解放であるというのも、髪を切る理由の一つです。「苦」とはつまり「こだわり」。髪が無ければ、「髪型や髪の手入れに悩む」という煩悩からひとつ解放されるというわけです。つまり、お坊さんが頭を丸く剃る理由は、「余計なこだわりを持たない」という気持ちの表れなんですね。
頭を剃らないお坊さんもいます同じお坊さんでも、宗派によっては、頭を剃らない「有髪(うはつ)のお坊さん」もいます。
浄土真宗なんかにはこのようなお坊さんが多いです。それは、開祖である親鸞聖人が「非僧非俗」を宣言し、「人間の持つ欲望を人間のありのままの姿であると受け止めたから」といわれています。また、そもそも「“頭を剃る”というこだわりすら捨て去る」という気持ちの表れだとも考えられています。
安城御影(親鸞聖人像)
お坊さんが頭を剃って丸坊主にしているのは、「まずは仏教徒としての気持ちから始めよう」という僧侶としての自覚と覚悟を固めるという役割があるのかもしれません。
参考:ハピズム
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan