首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【後編】

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首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【後編】

前編のあらすじ

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首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【前編】

天慶の乱に敗れ、斬首された平将門(たいらの まさかど)。その首級は京都に送られますが、あまりの執念に怨霊となり、再び胴体とつながる(=リベンジする)ため、坂東目指して飛んでいきますが、途中で念霊(ねんりょう)が切れて墜落してしまい、そこが現代の「将門塚(しょうもんづか)」となったそうです。

梟首に処された平将門の首級。葛飾北斎『源氏一統志』挿絵。

同じく胴体も首級と再会するべく歩き出したものの、首級と同じく力尽きてしまい、倒れた場所が「からだ明神」転じて「神田明神(かんだみょうじん)」となったそうです。

将門「首級伝説」の元ネタは?

……しかしこのエピソードは江戸時代以降の創作であることが判明しており、その初出は浅井了意(あさい りょうい)の『江戸名所記(寛文二1662年)』という江戸の観光ガイドとされています。

これを皮切りとして多くの都市伝説が生まれ、言い伝えによっては将門の首級も飛んだり飛ばなかったりするのですが、この将門の「首級が飛んだ」というエピソードにも実は「元ネタ」があるのです。

歌川貞秀画『英雄百首』より、三浦義同入道同寸と三浦荒次郎義意。

物語の舞台は将門の死から五百年以上が経った相州(現:神奈川県)は三浦半島。時は永正十三1516年7月11日、相州一帯に勢力を築いていた戦国大名・三浦道寸入道(みうら どうすんにゅうどう)と、その嫡男・三浦弾正少弼荒次郎義意(みうらだんじょうのしょうひつ あらじろうよしおき)は、小田原の伊勢新九郎長氏(いせ しんくろうながうじ。後の北条早雲)の侵攻を受け、いよいよ最期の時を迎えました。

三浦父子は相州武士の意地とばかりに大暴れ、あまりの「無双」っぷりに、ついには圧倒的多数だった小田原軍の方が怯えだす始末でしたが、とうとう力尽きた道寸は自害、荒次郎も自分の首を刎(は)ね飛ばします。

享年二十一歳、荒次郎の胴体は海に落ちたそうですが、首の方はどんな勢いで斬ったらそんなに飛ぶのか、小田原城の近くまで直線距離で十里(一里≒4km)以上も飛んだ挙げ句、とある松の枝に引っかかって、首のまま3年以上にわたって生き続けたと言われています。

「おのれ新九郎……三浦が怨み、ゆめ侮るな……末代まで祟ってくりょうぞ……!」

その様子の凄まじいことと言ったら、眦(まなじり)は裂けて歯をギリギリと喰いしばり、ざんばら髪は怒りに天衝くばかり……近寄った者はことごとく死んでしまうため、みな祟りを恐れて近づけなかったそうです。

護摩も祈祷も効果がなく……(イメージ)

当初は祟りなど鼻で嗤って取り合わなかった長氏も、いつまでも死なない荒次郎の首級が薄気味悪くなってきたのか、怨霊を鎮めるべく名僧や修験者に加持祈祷をさせたものの、いっさら効き目のないまま永正十六1519年8月15日、長氏の方が先に亡くなってしまったのでした。

エピローグ

さて、怨敵・長氏を祟り殺したのはよいが、このままだと荒次郎は、いつまでたっても怨みの業(ごう)が深まって成仏できない……そう憐れんだ総世寺(現:小田原市久野)の住職は荒次郎の元へやって来て、一首の歌を詠みました。

「現(うつつ)とも夢とも知らぬ一睡(ひとねむ)り
浮世の隙(すき)をあけぼのの空」

すると荒次郎は鬼神の形相を俄かに和らげ、静かな笑みを湛えて瞑目したかと思ったら、次の瞬間には白い髑髏に化けたのでした。

こうして荒次郎の怨霊は鎮められましたが、その後も荒次郎の首があった百間四方(一間≒約181.8cm)は満足に草も生えず、わずかに生えた草も毒気に満ちて、それを食んだ牛馬はことごとく死んでしまったため、誰も近寄らなかったそうです。

また、毎年7月11日になると三浦一族が滅亡した新井城(現:三浦市城山町)の上空に暗雲が立ち込めて稲妻が走り、亡霊たちの戦う剣戟が響きわたったと言われます。

法雲寺蔵・北条氏政肖像。Wikipediaより。

そして、長氏の曾孫である北条氏政(ほうじょう うじまさ)が自害し、北条氏が滅亡したのは天正十八1590年、奇しくも三浦一族と同じ7月11日のことでした。

首だけになってもなおしぶとく生き続け、ついには怨敵を滅亡せしめた荒次郎のエピソードは、策謀によって滅ぼされてしまった将門の怨みを雪いで欲しい人々の「判官びいき」にマッチしたため、両者の伝承が融合し、永く語り継がれてきたことが偲ばれます。

将門と荒次郎、どちらも時代を越えて全力で闘い抜き、死してなお人々に崇敬される坂東の英雄として、これからも語り継がれていくことでしょう。

※参考文献:
乃至政彦『平将門と天慶の乱』講談社現代新書、平成三十一2019年4月10日
浅井了意『江戸名所記』改造社、昭和十五1940年12月7日
矢代和夫『北条五代記 日本合戦騒動叢書』勉誠出版、平成十一1999年5月1日
上杉孝良『三浦一族 その興亡の歴史』三浦市教育委員会、平成十九2007年3月

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