18歳にして流派を創始!左利きで剣術の道を究めた幕末の剣士・大石種次を紹介! (2/2ページ)
千葉周作/Wikipediaより
しかし、そんな種次でも唯一白井亨には敵いませんでした。
翌年にまた江戸に来ると今度は天保の三剣豪の1人である男谷信友(おたにのぶとも)と試合をします。種次はこの時、左肘を曲げて水平に構える得意の左片手突きで信友に2勝1敗で勝利します。
この試合は勝海舟からは「御一新(明治維新)以上の大騒ぎ」と言われます。その後は長竹刀が流行し、天保10年(1839)に再度江戸に来ると種次の名を聞きつけた旗本や諸藩の武士たちが入門する事態となり、江戸の各道場は恐慌を起こしてしまいました。
勝海舟/Wikipediaより
最後に幼少期に大きな挫折を味わうと人間は大きく成長するものです。種次は周りからの評価と御前試合での敗北が大きなバネとなって大石神影流の創設という功績を残せたのだと思います。
種次は負の力をコントロールし、成功に導くことができた人物であると感じます。
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