妻から“飛び蹴り”制裁の山本譲二、酒井法子との避暑地不貞の噂は本当?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】 (1/2ページ)

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妻から“飛び蹴り”制裁の山本譲二、酒井法子との避暑地不貞の噂は本当?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

 歌手の杉良太郎と山本譲二が1日、都内で行われた『知って、肝炎プロジェクトミーティング2019』に出席。2012年に始まった同プロジェクトは、肝炎に関する知識、肝炎ウイルス検査の必要性と早期発見、早期治療に向けて自ら積極的に行動していくことを目的としている。

 山本は5月に大腸がんの手術を受けていたことを先月発表した。昨年11月から腹部の痛みがあったものの、かぜ薬とアルコールで気を紛らわせていたという。しかし、5月に激痛に見舞われ病院に行くと「7センチのがんでした。もっと早く病院に行って検査していたら、小さなポリープで済んだかもしれない」と自らの行いを悔い改め、早期発見の大切さを世間に訴えた。

 山本というと、1967年夏に山口県(当時:西中国)代表として甲子園に出場した経験を持つ高校球児である。高校卒業後は演歌歌手を夢見て上京し、職を転々とした。肝臓を壊しやむなく帰郷したが、22歳で再び上京。スナックの“ドサ周り”を2年間続け、たまたま店に来た作曲家の浜圭介に誘われ芸能界入りした。

 1974年、「伊達春樹」の芸名で『夜霧のあなた』でデビューしたが、パッとせず早くも窮地に立たされた。意を決して、歌手・北島三郎に弟子入りを志願。十数回繰り返した後に、北島から「鞄持ちになれ」と告げられた。以降2年間、北島の付き人を務め、76年に本名に改めた。

 1980年、当時30歳の山本は歌手生命をかけ『みちのくひとり旅』をリリース。81年に歌番組に出演すると大きな反響を呼び、ようやく大ヒット。同年末の『NHK紅白歌合戦』には初出場を果たした。同曲は130万枚を記録、今なお語り継がれている名曲であり、北島ファミリーの旗頭的存在となった。

 山本には下積み時代を支え、生活を共にしたモデル歴のある糟糠(そうこう)の妻がいた。だが、一躍スターになった山本の同棲がマスコミに発覚し、1987年2月に結婚。翌月に長女で歌手の琴乃、後に次女が誕生した。

 多くを語らない山本だが、2015年5月、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)に出演。妻に跳び蹴りを食らったエピソードを激白した。

 「(妻に)悪いことをしたから蹴られるんです」という山本。理由は、「浮気ですよ」と暴露した。

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