伝説の美しき遊女・地獄太夫。人々に愛された地獄太夫と一休禅師が与えた影響[中編] (2/4ページ)

Japaaan

しかし右にいる男は怪訝そうにしゃれこうべを見ており、新造達も不快な様子です。

一休禅師は風狂の人でもありました。“風狂”とは“戒律などの破戒的な行為を、悟りの境涯と肯定的に捉えること”です。一休禅師は女犯をし、酒も飲み、肉や魚も食べました。地位や名誉を欲しがる当時の仏教の形骸化に、一休禅師は反旗を翻したのでした。

一休禅師は人々がお正月を迎えると、誰も彼もがめでたい、めでたい、と振る舞うことを不思議に思ったのです。お正月を祝う家々に、竹の先のしゃれこうべを差し入れて歩いてまわりました。そして“ご用心、ご用心。このしゃれこうべを御覧なさい。目が出てしまって、こういうことを目出たい言うのです。

人間というものは、無事に昨日を生き過ぎたことに慣れて、今日も無事に終わるものだと漫然と過ごしてしまう。正月を迎えて歳を重ねたということは、確実に死に一歩近づいているということなのですよ”と説いたといいます。

1843_歌川広重_東海道五十三対_関_出典国立国会図書館

歌川広重 “東海道五十三対 関” 出典:国立国会図書館

あるとき地獄太夫は一休禅師に「出家して仏に仕えることが出来れば、せめて救いがあるものを」と嘆くと、一休禅師は「五尺の身体を売って衆生の煩悩を安んじる汝は邪禅賊僧にまさる」と言って慰めたといいます。

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