スポーツの実感放送はこれが初めてではなかった?「いだてん」第30話振り返り (2/2ページ)
オリンピック開始前に実感放送については知らされていましたし、実際は10秒そこらしかない短距離走の放送に1分以上かけているのですから、実況であるはずがありません(笑)
しかしそれでも、競技を見たまま、興奮そのままに伝える放送というのは魅力があったのでしょうね。
放送を聴いている人の中には、無線の「ザー…ザー…」という音を太平洋の波の音だと勘違いしていたとか、海を越えてのラジオ放送に慣れない当時らしいエピソードもあります。
実感放送が生れるまで生で直接人々に放送を届けたいけれど、さまざまな事情でそれができないということはロサンゼルスオリンピック以前にもありました。
たとえば大正天皇の大喪です。アナウンサーが直接大喪のようすを見て放送することは許されず、事前に宮内省と相談しながら原稿を作り、大喪のスケジュールに合わせてスタジオで原稿を読んで放送したのだそうです。
また、オリンピックと同じスポーツの実況として先にスタートしていた中学校野球(現在の全国高等学校野球選手権大会)。大阪での放送は第13回大会からスタートし、実況放送は好評を得ました。
東京でも大会の様子を伝えたいと決勝の放送をすることになりましたが、当時は大阪の放送をそのまま東京で放送する方法が確立されておらず(大阪東京間の有線が完成していなかった)、新聞社に頼んで決勝の試合経過を知らせてもらい、それを実況のように放送する、という方法がとられたのです。
この放送に解説者として関わっていたのが、のちにNHKのスポーツアナウンサーとなる河西三省でした。
ロサンゼルスオリンピックの実感放送は、過去に同様の放送を経験したアナウンサーがいたからこそ発案され、実行に移されたのかもしれませんね。
参考:https://www.nhk.or.jp/bunken/research/history/pdf/20170501_8.pdf
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan