プロレス激談・藤波辰爾×天龍源一郎が語る「ジャイアント馬場とアントニオ猪木」

日刊大衆

画像はイメージです
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 “炎の飛龍”藤波辰爾と、“風雲昇り龍”天龍源一郎。プロレスを知り尽くした2大レジェンドが、偉大なる先人、ジャイアント馬場アントニオ猪木を語る‼

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ーー藤波さんは日本プロレス時代の馬場さんを、どう見てましたか?

藤波:日頃の振る舞いから風格がありました。馬場さんにはルーティンがあって、興行の開催地に着くと、おもむろに胸ポケットから葉巻を出してパカ〜ッと吹かすんですよ。そのしぐさにすごく憧れてました。風呂で背中を流させてもらったこともありました。日本プロレス時代、僕は猪木さんの付き人だったんですけど、2人が一緒にお風呂に入ったとき、馬場さんの付き人の佐藤昭雄さんと、こっそり入れ替わって背中を流してみたんです。その背中の広いこと!

天龍:畳、一畳くらいあったんじゃないですか(笑)。

藤波:そうそう(笑)。背中で麻雀ができますよ。

ーーその後、藤波さんは猪木さんについていって袂を分かちますが、馬場さんのイメージに変化は?

藤波:年に1回、東京スポーツ主催のプロレス大賞の授賞式で挨拶するくらいでしたが、ずっと変わらず尊敬の対象でしたね。

天龍:僕は新日本と全日本に分かれた後に入ったから、プロレス大賞の授賞式で新日本の選手とすれ違っても、「フンッ」という態度を取ってたよ(笑)。

藤波:当時はピリピリしてたからね。

天龍:でも、藤波さんや佐藤昭雄さんは分かれた団体の選手にも「元気?」なんて挨拶してましたよね。

ーー天龍さんのジャイアント馬場像は?

天龍:僕は相撲界にいたから、和の形式しか知らなかったわけですよ。だから、ホテルのラウンジで葉巻を吸ってキャデラックを運転している馬場さんを見て、すごい刺激を受けましたね。一時期、馬場さんがいたリキアパートに仮住まいしていたんですけど、空いてる部屋に冷蔵庫だけがあって。「なんだろう」と開けたら、葉巻がビッシリ入ってる。

藤波:しけらないように保存していたんだろうね。

天龍:アメリカナイズされた馬場さんには驚かされることが多かったですよ。

ーー馬場さんからマナーも教わったとか。

天龍:そうですね。ファンクス兄弟のもとで修業していたとき、シャワーを浴びてパンツ一丁で出てきたら、馬場さんに「おい、女性の前でパンツ一丁はないだろ」と叱られました。エレベーターに乗ろうとすると、馬場さんに「女の人が先だろ」と止められて(笑)。

藤波:僕も付き人時代に、猪木さんから礼儀を教わりました。ヨレヨレのジャージなんか着ている選手は、猪木さんに怒られていましたから。

■ジャイアント馬場はオゴらない?

ーー馬場さんは、倹約家という評判もありますが?

天龍:金にはシビアでしたよ。馬場さんはレスラーと飯を食っても、自分の分だけ支払ってましたから。他のレスラーには、自分で食った分は自分で払えと。角界のような「ごっつぁんでした」という世界を排除したかったんでしょう。

ーーただ、天龍さんは、馬場さんからお金を出してもらった数少ないレスラーだと聞いてます。

天龍:そうそう。新聞記者の人たちと飲んで、夜中2時くらいになると「ファイトマネーじゃ足りないな」と気づくわけですよ。付き人に「まだ馬場さんは起きて本を読んでるはずだから、金を引っ張ってこい」と言って(笑)。

藤波:アハハハハ!

天龍:付き人が10万円持って戻ってくるんですよ。馬場さんは、記者の人たちを接待してると理解してくれたんでしょう。僕が全日本を辞めるまで、馬場さんから「夜中に金を渡したんだから“ごちそうさまでした”くらい言え。コノヤロー」なんてことは1回も言われなかったですよ。

藤波:天龍さんに対する信頼があったんでしょうね。新日本はみんなで食事したら、金庫番の山本小鉄さんが払ってくれました。前借りも小鉄さんのところに行ってね。坂口征二さんの体制に変わってからは「何に使うんだ」と細かく聞かれるようになったけど(笑)。

ーー猪木さんは、実業家の顔もお持ちですよね。

藤波:我々とは考えている次元が違いました(笑)。僕たちは「いい車に乗って、大きな家に住みたい」という夢があったけど、猪木さんは、そんなことに執着しないんですよ。

天龍:新日本のほうが儲かってましたよね。テレビ中継を見ても、会場が埋まってるから羨ましかったもん。

藤波:猪木さんの馬場さんに対するライバル心が、大きく作用したと思いますよ。豪華な外国人選手が呼べる馬場さんに対して、猪木さんは異種格闘技戦をやったり、無名のタイガー・ジェット・シンをスターにした。テレビ中継している会場に空席が見えたら、猪木さんは営業担当を呼びだして殴ってましたね。今だったら、問題になっているかもしれない(笑)。

天龍:逆に、馬場さんが営業に声を荒げているところは一度も見たことがない。頭にきていたとは思うんだけどね。金沢で興行があったとき、馬場さんから「この客入りで会社にいくら残ると思う?」と聞かれて、「1000万円は残るんじゃないですか」と答えたら、「バカヤロー。何十万だよ」と言われたことがあるんですよ。その日は、ほとんど招待客だったらしくて怒ってました。でも、営業に「馬場さん、今日の売り上げです」と数字を見せられて、それが良くても悪くても葉巻から煙を吐いて「そうかぁ」と言うだけ。

ーーいつでも、悠然としていたんですね。天龍さんはそんな馬場さんから、1989年11月に札幌でフォール勝ちしました。

天龍:重たくて、なかなか持ち上がらないんだけど、「これでも喰らえ」と、パワーボムを決めて。「返してくるだろうな」と思ったけど、そのままフォール勝ちしたんです。でも、「馬場さん、返せたんじゃないですか?」と戸惑いました。自分の会社のトップに勝つということは、“何かを押しつけられた気持ち”になるんですよ。「お前、分かってるんだろうな」と、すべてを任された感覚になって重荷に感じましたね。

藤波:僕が猪木さんからフォール勝ちしたときも、同じ気持ちでしたね。野球や相撲ならトップに立てることはうれしいと思いますが、僕は素直に喜べなかった。また、フォール勝ちしたときに猪木さんがニヤリと笑ったんですよね……。

天龍:育ててもらった恩があるから、「勝った負けた」じゃ超えられないものがあるんですよ。僕も藤波さんも「馬場」「猪木」と呼び捨てにしないでしょ。それがすべてを物語ってますよ。

 この続きは、現在発売中の『週刊大衆』9月2日号で。

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