なんと馬と結婚した女性の末路…「遠野物語」より、オシラサマのエピソードを紹介

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なんと馬と結婚した女性の末路…「遠野物語」より、オシラサマのエピソードを紹介

世の中は実に広いもので、結婚と一口に言っても人間同士とは限らず、イルカや抱き枕など、様々な相手と結婚した方のニュースにふれると、愛情の形は実に色々あるものだと実感します。

と言っても別に昨日今日の話ではなく、日本でも人間と人間以外のパートナーが夫婦となったエピソードが残されています。

そこで今回は柳田國男『遠野物語』から、オシラサマの話を紹介したいと思います。

あまりに馬が好き過ぎて……

むかす、あったづもな(昔、こんな事があったそうだ)。

とある農家に一人娘がおりまして、気立ても器量もいいのに、年頃になっても縁談を断り続けていました。

あまりの事に、将来を心配した父親がその理由を糺したところ、娘はなんと「おらァ、ウチの馬と夫婦(めおと)になりてぇ」などと言い出します。

この申し出には父親も仰天しましたが、確かに以前から、厩(うまや)に一人で籠もって馬に向かってずっと独り言を続けている様子を目撃していました。

確かに馬は昔から、単なる家畜ではない「家族」だけれど……(イメージ)

馬といるのが何でそんなに楽しいのかと訝っていたら、なるほどそんな眼で見ていたとは夢にも思っていませんでした。

「バカもん!お前を永年、手塩にかけて育てたのは馬なんぞにくれてやるためじゃない!」

父親として当然の思いを伝えると、思い切って遠野城下へ出かけていきます。

「……お前が『馬と夫婦になりたい』などと言い出すのは、村にロクな男がいないからに違いない。よぅし、これからお町でこれ以上ない好青年との縁談を取りつけてきてやるから、楽しみに待っておれ!」

父親が出かけてしまうと、娘は馬と夫婦になりました(具体的なやりとりについては割愛されています)。

馬の首に縋りついた娘が……

さぁ、娘が馬と「夫婦になった」ことを知った父親は、烈火の如く怒り狂います。

「おのれ畜生の分際で、大事な一人娘をたぶらかしやがって!」

「おっ父ぅ、やめてけろ!」

イメージ

懇願する娘も顧みず、父親は馬を裏庭にある桑の木につるし上げ、斧でその首を叩っ斬ってしまいました。

「あぁ……何てむぞい(かわいそう)!」

娘が叩っ斬られた馬の首に縋りついて泣いていると、どういう訳か、馬の首ともども飛んでいってしまったそうです。

たった一人の大切な娘を失った悲しみに暮れていた父親は、ある晩不思議な夢を見ました。

「おっ父ぅ、親不孝な娘でごめんなぁ……その代わりって訳じゃあねぇんだども……」

夢に出て来たのは娘と馬。共に婚礼衣装のハレ姿です。

「裏庭の桑の木で、私たち夫婦を彫ってお祀り下されば、きっと功徳がありましょう」

自分たちの結婚を認めて欲しい……そんな娘の思いに、とうとう父親も折れて馬と娘の像をお祀りするようになりました。

さまざまなオシラサマ。遠野市立博物館にて。

その像は桑を削った棒の先端に顔を彫り込んだ素朴なもので、幾重にも布を着せて支えるのですが、どういう訳か迷い事などある時には馬の顔がどちらかへ向いて「お知らせ」してくれるので、いつしか「お知らせ様」と呼ばれるようになり、それが転じて「オシラサマ」として今日に伝わっているそうです。

どんどはれ(昔話などで「おしまい」の意)。

エピローグ

『聴耳草紙』には更に後日譚があり、父親の夢枕に立った娘が、切り倒した桑の葉を蚕に食べさせて絹糸を生み出す養蚕を教え、村がますます栄えたことから、オシラサマが養蚕の神様としても信仰されていることなどが紹介されています。

それにしても、人間と馬との結婚が広く理解される世の中はまだまだ先のことと思いますが、性的少数者に対する理解が(賛否はともかく)進みつつある昨今、いつか時代が追いつく?可能性もあるのかも知れませんね。

※参考文献:
柳田國男『遠野物語』集英社文庫、平成三1991年12月13日
佐々木喜善『聴耳草紙』ちくま学芸文庫、平成二十二2010年5月10日

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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