日本のシンクロは古来の「日本泳法」に原点あり?「いだてん」第31話振り返り

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日本のシンクロは古来の「日本泳法」に原点あり?「いだてん」第31話振り返り

「いだてん」第31話「トップ・オブ・ザ・ワールド」が放送されました。

これまでの「いだてん」振り返り記事はこちら。

男子の勢いに続くように女子水泳の前畑秀子も銀メダルを獲得し、オリンピックは閉幕しました。

日本の水泳チームの強さに各国が驚き、なぜあそこまで強いのかと問われた嘉納治五郎は「日本には400年も前から伝統的な日本泳法がある」と話します。

古式泳法とも呼ばれる日本古来の泳法で、もともとは武術として行われていたもの。日本の水泳選手が初めてオリンピックに出場した際、世界の主流であったクロールにあっけなく敗北したあの泳法です……。

エキシビションで披露されたのは史実通り

ドラマでは、嘉納治五郎の鶴の一声でエキシビションで日本泳法を披露することになりました。

なんとこれは史実通りだそうで、ドラマ制作にあたって資料を調べる中でたった一行の記録として残されていたのだそう。その一行が、劇中ではあそこまで広げられたのです。

複数の泳ぎ方が披露され、最後は泳ぎながら文字を書く場面もありました。水面下で止まることなく水をかきながらも水から上はほとんど動かすことなく止まったまま。なんとなく、日本泳法ってアーティスティックスイミング(古くはシンクロナイズドスイミング)に近いな、と感じた方も多いのではないでしょうか。

日本のシンクロは日本泳法が土台になっている

実はその通りで、日本泳法の技術にはアーティスティックスイミングに共通する部分があるのです。

葛飾北斎画:『北斎漫画』第四編(1815年(文化12年))

そもそも日本選手たちが短期間でメダルを独占するまで成長したのは、日本泳法で下半身が鍛えられていたから、というのもあるそうで。

当時の世界のクロールはバタ足(句キック)よりも両手で水をかくほうに重点を置いてスピードを出していたようなのですが、日本選手たちはもともと下半身に重点を置く日本泳法で鍛えられていたため、その分パワーが勝ったのだとか。

日本泳法はそのほかにも水球などに求められる技術にも共通する部分があり、あらゆる競技の土台になっていそうですね。

アーティスティックスイミング(シンクロ)といえば、関西が強いですよね。とくに有名なのが、スパルタ指導で知られる井村コーチ。その井村雅代コーチが小学校時代から水泳を学んだのが、大阪府堺市にある「浜寺水練学校」です。

100年以上の歴史がある学校ですが、もともとは日本泳法を教える水連学校として始まったのだそう。そしてそのなかで、女子が笛や号令、音楽に合わせて能島流泳法(複数ある流派のひとつ)で泳ぐ、というものがありました。「楽水群像」というもので、これが日本のシンクロの土台となったといわれているのです。

日本でシンクロが実演されるのは昭和29年からですが、楽水群像はそれよりも前から始まっていました。日本泳法のいくつかの技術にはアーティスティックスイミングに共通する要素もありますから、実演スタート時から存分に日本泳法の技術が生かされたことでしょう。

浜寺水連学校は日本のアーティスティックスイミング発祥の地ともいわれています。

これまでの「いだてん」振り返り記事はこちら。

参考:関西シンクロ界 栄光のルーツは?

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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