何て読むの?馬の神様?珍しい石碑「馬櫪神」にはどのようなご利益があるのでしょうか

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何て読むの?馬の神様?珍しい石碑「馬櫪神」にはどのようなご利益があるのでしょうか

旅先で、珍しい石碑を見つけました。

岩手県平泉町・高舘義経堂の境内にて。

「馬櫪神」

馬と神の文字が並んでいるくらいですから、馬に関係する神様であることは察しがつきますが、真ん中の「木へんの部首に歴」という漢字は何を意味していて、どんな神様なのでしょうか。

疑問の湧いたが吉日、ということでさっそく調べてみました。

六本腕の守り神

漢字辞典で「木へんに歴」を調べてみたところ、櫪(くぬぎ)という漢字でした。

櫪(クヌギ)のドングリ。

豪華なファーコートをまとったようなまん丸のドングリ、あるいはカブトムシが好む樹液が出ることで有名な雑木の一種ですが、馬と櫪を組み合わせたネーミングの神様には、どんなご利益があるのでしょうか。

これまた調べてみると、どうやらこの神様は「ばれきじん」とストレートに読むそうで、馬櫪とは飼葉桶、転じて厩(うまや。馬小屋)を表わし、馬の守護神ということでした。

葛飾北斎『北斎漫画』より、馬櫪尊神。

その姿は葛飾北斎『北斎漫画』などに描かれており、馬に乗り、大陸風の甲冑をまとった六本腕の武将が、一対の腕で両刀を交叉に構え、もう一対の右手に鶺鴒(セキレイ。鳥の一種)、左手に猿をそれぞれ携え、最後の両腕で手綱を握る雄姿が印象的です。

は馬にたかる蚋(ぶよ)などの害虫を食べてくれ、猿は古くから馬と相性がよく、その世話をするとして、共に古くから馬の守り神として信仰されたことから、馬櫪神のお使いとして傍に仕えているようです。

絵の作者によっては四本腕などのバージョンもありましたが、鶺鴒と猿を従えている点は共通していました。

まとめ

馬櫪神の信仰が大陸から日本に伝来した時期には諸説ありますが、全国に駅伝制が布かれ始めた7~8世紀ごろに広まったようで、街道沿いや宿場街など、馬を盛んに用いた地域で多く祀られている傾向が見られます。

(※ただし、現存している石碑は近代以降のものが多く、どういう形で信仰が継承されてきたのかなど、未解明の部分を多く残しています)

かつて馬が人間の生活に密着し、パートナーとして共生していた歴史の縁(よすが)として、今も石碑が各地に佇んでいます。

※参考文献:
柳田國男『山島民譚集』東洋文庫、昭和四十四1969年5月5日
柳田國男『年中行事覚書』講談社学術文庫、昭和五十二1977年3月8日
南方熊楠『南方熊楠全集第二卷〔十二支考Ⅱ〕』昭和二十六1951年11月25日

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