島田紳助の貯金は国家予算!? やしきたかじん、上岡龍太郎…どえらい「ナニワ豪快伝説」

日刊大衆

島田紳助の貯金は国家予算!? やしきたかじん、上岡龍太郎…どえらい「ナニワ豪快伝説」

 “ナニワBIG4”は豪快だった! コンプライアンスに厳しすぎる現代では考えられない「伝説」を大公開!

 なかなか解決の糸口が見えてこない、お笑い芸人の「闇営業」問題。こんなとき、彼らが現役だったなら、きっとひと言で我々をスカッとさせてくれたに違いない――横山やすし、上岡龍太郎、島田紳助やしきたかじんの、ナニワに生きた4人の天才たちのことだ。

 彼らが残した忘れられない“どえらい豪快伝説”。まずは、横山やすし(享年51)のエピソードから。その芸人人生はトラブル、波乱の連続で、ハチャメチャ伝説は枚挙にいとまがない。「全盛期の年収は5億円を超えていたそうですが、そのほとんどはボートやセスナ機購入に消えてしまった。“アメリカでジェット機買うてくる”と、7000万円を下ろして本当にセスナを買ってきたように、後先考えずにお金を使うため、毎年、税金を払えず、いくら稼いでも借金が増えるばかり。周囲が節税対策を勧めるも、“そんな面倒臭いことはイヤや”と一切、行わなかったそうです」(お笑い番組関係者)

 特に、大好きだったボートに関する伝説は数多い。テレビの取材を通じて親交を深め、96年に亡くなるまでの約5年は誰よりも近くで、その姿を見てきたという放送作家で演芸評論家の保志学氏は、こう話す。「とにかく白か黒。こいつは敵か味方か。勝つか負けるかという、大好きだったボート(レース)そのままの性格でしたからね。漫才のことも、“自分、相方、お客さんとの、ボートの闘いみたいなもんや”と言っていました(笑)」

 タクシー運転手とのトラブルが多かったのも、この“ボート魂”がゆえか。「タクシーに乗っていても、他の車に追い抜かれるのがイヤなので、信号が赤になりかけても“行け!”ですからね。困った運転手が“横山さん、赤です”と訴えても、“なに言っとんねん。隣り見てみい、青やないか!”ですから運転手も災難です(笑)」(スポーツ紙演芸担当記者)

 だが、横山やすしの漫才師としての天才ぶりを認めない人はいない。「生の舞台でお客さんを相手に磨かれた、スピード、パワー、間合い、ワードセンス、すべてが一級品。その天才ぶりを正しく捉えて分析しきった評論家は、私を含め、まだいないでしょうし、これからも不可能ですよ」(前出の保志氏)

 保志さんが仕切りを任された葬儀には、3500人ものファンが弔問に訪れた。

■笑福亭鶴瓶を混乱させて

 お次は上岡龍太郎(77)。横山ノックの参院選出馬による「漫画トリオ」の活動休止後、立て板に水のような理路整然とした切れ味鋭い知的なしゃべりで、関西で売れっ子に。

「俺は絶対に東京に行かへん!」と語っていたが、84年の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)への出演以降、東京でも仕事を増やし、全国区の人気者となっていった。放送作家時代に、上岡出演の『EXテレビ』(日本テレビ系)に関わった、江戸川大学教授でお笑い評論家の西条昇氏は、そのスゴさをこう振り返る。

「上岡さんの独特の知識と教養からくる“屁理屈トーク”は、聞く者をその世界に引きずり込む力があり、“ヘェ〜”と唸らせる説得力があるんですが、最後にはオチが待っていて、きっちり笑いのネタとして成立してしまう。今のテレビでは、なかなかお目にかかれない“大人の話芸”を持つ芸人さんでした」

 その才能が最も輝いたのは、笑福亭鶴瓶とのフリートーク番組『鶴瓶・上岡パペポTV』(読売テレビ)だろう。

「漫才風にスタートしながらも、徐々にその屁理屈で、鶴瓶さんを混乱させていき、鶴瓶さんが感情的になればなるほど、上岡さんの屁理屈とツッコミが冴えていく。放送禁止用語を発する口元に〈禁〉マークが出たりする演出のハシリでもありましたね」(前同)

■引退してからも飲食店や不動産で

 島田紳助(63)が豪快だったのは、やはり、その稼ぎっぷりである。「11年に芸能界を引退してからも、飲食店や不動産の収入が年間1億円以上。その貯金額は宮根誠司が“それはもう貯金というのか、なんというのか……国家予算とまでは行かへんけど、どこかの県ぐらい”と驚いたほど。100億円はゆうに超えているだろうといわれています」(芸能記者)

●ビジネスにおいて一度も負けたことがない

 全盛期は番組1本で300万円から500万円のギャラを稼ぎ、その資金を不動産や飲食店ビジネスに投資し、“芸能界の不動産王”と呼ばれていた。

「00年の朝日新聞のインタビューで、“休みの日に裁判所に競売物件を調べに行くタレントはなかなかいませんよ”と話していたように、素人には手が出しづらい競売物件を安く入手するプロ顔負けの裏技を使って、“新地の駅前は紳助のもの”と言われるほど、不動産を買いあさっていました。その多くは現金一括払い。しかも立て続けに購入するほど潤沢な資金がありました」(経済誌記者)

「僕はビジネスにおいて一度も負けたことがない」と公言していたが、その秘密は、「勝てない勝負はしない」という徹底した勝負哲学にあったようだ。

「その原点は、やはりお笑いにあったのでは。自分が面白いと思った漫才師のネタを書き起こし、他とどう違うかを徹底分析し、1分間の間の数、オチのパターンを分析して、と自分なりの“勝てる漫才”の教科書を、コンビを組む前に作り上げた。その教科書通りのネタをやるために選んだのが、松本竜介という相方だったんです」(関西在住のお笑い番組関係者)

■酒の豪快伝説

 酒の豪快伝説なら、やしきたかじん(享年64)が一番だろう。

「本拠地にしていた北新地では、クラブに入り、“ヘネシーのボトルある?”と注文するや、“じゃあ、勘定して”と水割りを1杯飲んで、“また来るわ”と次の店へと、1店あたり10分程度で、何軒もハシゴ。“一晩で24軒が最高や”と言っていました。座ってウン万円という高級店ばかりですから、一晩で300〜400万円を使うのはザラ。ボッタクリの店にあえて入り、ビール2本で5万円を請求されると、“暴力バーなら10万は取らんかい! なっさけない店やな!”と10万円叩きつけて出てきたという逸話も有名です」(放送作家)

●テレビ朝日の深夜番組で生放送中に事件を!

 それだけ新地の街を愛し、愛された“たかじん”。たかじんは新地のストリートミュージシャンのギターを奪って弾き語りを始め、「歩いている顔なじみの社長に、“おい、財布出せ”と迫ると、皆、“しゃ〜ないなぁ”と言いながらも、笑顔でお金を出し、集まった数十万円は、そのミュージシャンに渡していました。果物売りの露天のおっちゃんから果物を全部買い占め、通りすがりの人に、“お兄ちゃん、これ持って帰りぃ”と配っていたこともありましたね」(前同)

 保志氏は、まさに、この果物を売る“たかじん”に遭遇したことがあった。

「思わず“何しとるんですか?”と聞いたら、“ワシ、コレ売らなアカンねん”ととぼけていましたが、そんなたかじんを、街の人たちは“また、たかじんがイチビッて(関西弁で、“調子に乗る”の意味)やっとるわ”と、微笑ましく見守っていましたね(笑)」

 豪快といえば、番組中のこんなエピソードも有名だ。

「92年、テレビ朝日の深夜番組『M10』の司会を務めていたたかじん。料理コーナーで“こんにゃくステーキ”の調理法を紹介していたところ、用意されているはずの味の素がないことに激怒。“味の素はどこじゃいやいやいや〜!”とセットを破壊してスタッフを殴り、生放送中に帰るという事件を起こしています。たかじんとしては、何度も打ち合わせをしたのに、準備がされていなかったことに怒ったというのが真相だったようです。この騒動で番組は降板となりましたが、味の素株式会社から感謝状と1000本の味の素が、たかじんに贈られたといいます」(制作会社プロデューサー)

 ナニワBIG4が我々の記憶から消えることはない。

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