着物を最後まで大切に。アロハシャツは日本人が和服をシャツにリメイクしたのが起源 (2/2ページ)
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アロハシャツ
当時、ホノルルには多くの仕立て屋や呉服店があったそうです。ちなみに、「アロハシャツ」という言葉を初めて新聞広告で使ったのが日系の仕立て屋の一つ「ムサシヤ・ショーテン」というお店。地元の若者の間でもこのシャツは流行し、それを見たアメリカからの旅行者にも土産物としてアロハシャツは流行しました。
アロハシャツがこんなにも成功したのは、当時円が安く質の良い生地を安価に仕入れることができたことに加え、大量ロットでしか注文を受けないアメリカ製生地に対して、日本の生地メーカーは少量のロットでも輸出に対応したことがその理由です。
こうして日本人によってつくられたシャツは現地でも人気が高まり、やがてアメリカ本土とハワイを結ぶ旅客航路が開設されると、観光地の土産物としてアロハシャツの需要も拡大していったのです。
アロハシャツ・ブームの絶頂期は、第2次世界大戦後のおよそ15年間だといわれています。当時、衣料素材として発明されたレーヨンが綿や絹に変わって登場したことにより、アロハシャツのデザインにも大きな変革をもたらしました。
当時、敗戦国である日本から、着物の染色技術を使った繊細な柄が数多く海外へ輸出されてました。戦災を逃れた京都の染色業は、戦後の日本の繊維製品の輸出を支えていました。もともと京都には、着物だけでなく布団地や風呂敷などを作る友禅業者が数多く存在し、これらの業者が高品質な製品を数多く作って輸出したことが、アロハシャツ発展の大きな要因になったのです。
ちなみに、現在日本製の生地を使ってハワイで作られているアロハシャツはほぼないそうです。
ハワイでは結婚式などの正装としても着用されている「アロハシャツ」。
アロハシャツと日本人の関係について調べてみると、日系人や日本の歩んできた大変な歴史が見えてきます。
参考
海外移住資料館 ニック加藤のハワイアンシャツ日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
