超美人さん揃い!明治時代に日本初のミスコン「東京百美人」が開催されたその理由とは? (2/2ページ)

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来場者は階段を登りながら写真を見て、最上階で投票を行うというルールにしました。

この発想は大当たりしました。会期5日間の来場者はなんと、延べ5万人にも及びました。これ、たぶん、同じ人が贔屓の芸者のために何度も登って投票したと考えられます。

ちなみに日本初の美人コンテストの一等となったのは、新橋玉川屋の玉菊という芸者でした。

玉川屋玉菊

一度は大成功したかに見えた東京百物語ですが、明治末期には客足が減り、深刻な経営難に陥ってしまいました。そのうえ、1923年9月1日に発生した関東大震災により建物の8階部分より上が崩壊。当時、頂上展望台付近にいた見物人1名を除く全員が崩壊に巻き込まれ即死してしまいました。

結局、経営難から復旧が困難であったため、浅草のシンボルにもなっていた浅草竜雲閣は、同年9月23日に陸軍工兵隊により爆破解体されてしまいました。

参考

草の実堂 東京花柳界情報舎

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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