歴代総理の胆力「高橋是清」(3)「蔵相としての手腕はAクラス、総理としてはゼロに近い」 (2/2ページ)

アサ芸プラス

 昭和2(1927)年の田中(義一)内閣の「昭和金融恐慌」では、全国金融機関への支払い猶予令(モラトリアム)を出し、表は印刷されているが裏は白紙の200円紙幣を刷り、これを金融機関に積み上げさせて預金者を安心させ、取り付け騒ぎを回避させてみせるという奇策で臨んだ。“ニセ札”で預金者心理の不安を取り除くとは、なんともいい度胸と言えたのだった。

 また、昭和7(1932)年には前年の満州事変勃発もあり、それまでの財政政策を転換、「金輸出再禁止」による金本位制の停止、低金利、歳出拡大の積極策を進めた。特に、金融を大幅に緩和する日銀引き受けによる赤字国債の発行に踏み切り、歳入の不足分をこれでカバーする手を打った。以後の今日まで続くわが国の赤字公債発行は、このときの高橋蔵相をもって嚆矢とするのである。

 しかし、岡田内閣の蔵相では一転、悪性インフレへの懸念から赤字公債の発行にブレーキをかけ、軍事費の膨張に歯止めをかけるという柔軟な財政政策で臨んだ。これが、結局は高橋の命を縮める要因となるのだった。

 公債発行の減額は軍の予算増額要求を蹴るものであり、ここにおいて陸軍皇道派青年将校による「昭和維新」クーデターのターゲットとされた。昭和11(1936)年2月26日、いわゆる「二・二六事件」での高橋蔵相暗殺である。

 東京・赤坂の高橋邸に近衛歩兵第三連隊第七中隊が乱入、就寝中の高橋は「何をするかッ」の一言を残したまま、4発の銃弾を受けほぼ即死状態だった。享年82。万事に楽観主義、決して無理をせずの言うなら“来るをとらえる人生”と言えたのだった。

■高橋是清の略歴

安政元(1854)年7月27日、江戸(東京)芝の幕府御用絵師の家に生まれる。アメリカ留学。日本橋の芸妓・桝吉(ますきち)と遊蕩三昧生活。総理就任時、67歳。蔵相ポスト都合7度。昭和11(1936)年、「2・26事件」で青年将校の凶弾に倒れる。享年82。

総理大臣歴:第20代1921年11月13日~1922年6月12日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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