日本のおふくろの味「肉じゃが」を考案したのはなんと軍人・東郷平八郎だった説

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日本のおふくろの味「肉じゃが」を考案したのはなんと軍人・東郷平八郎だった説

筆者のような世代では、彼女や嫁さんの作った肉じゃがを食べたいなんていう妄想を抱いていた世の男性も少なくはないとおもいます。それぐらい今や、家庭料理としておなじみの「肉じゃが」。

ところが、実は肉じゃがを考案したのは、むきむきの軍人、しかも東郷平八郎だったという話を聞くと皆さんどう思われますか?(※肉じゃがの起源には諸説あります)

東郷平八郎といえば、明治時代から大正時代にかけて活躍した帝国海軍の軍人で、連合艦隊司令長官にまで出世した人物です。日露戦争では、日本海海戦で、当時最強と謳われたバルチック艦隊を全滅させ、世界中にその名前を知らしめました。

フィンランドで1970年から1992年まで製造販売された‶Amiraali(提督)ビール”のラベルに描かれた24人の提督の一人として、東郷の肖像画が描かれているほど最近まで世界中で知られていました。

留学中のあの味をもう一度!

さて、そんな東郷ですが、彼は若いときにイギリスに留学します。

今でこそ、好きなときにいつでも外国の料理が普通に食べられますが、当時の日本とイギリスでは食生活にかなりの違いがありました。留学生のイギリスで東郷はビーフシチューと出会い、その味にすっかり夢中になりました。

留学を終えて帰国した東郷は、イギリスで食べたビーフシチューの味を忘れることができず、あるとき艦上の料理長に命じて、思い出の味を再現させようとしました。

ところが、当然、料理長はビーフシチューについて知識がありません。更に当時の日本では、ビーフシチューに必要な赤ワイン、デミグラスソース、バターの入手が困難でした。

考えに考えてようやくビーフシチューの味を再現できる苦肉の策を思いつきます。それが、醤油と砂糖を使うことでした。こうして、ソースの代わりに砂糖と醤油を使って作られたのが「肉じゃが」だったとされています。当時は「甘煮」と呼ばれていました。

苦心の末ようやく完成させた甘煮は、東郷の食べたビーフシチューとは全く別物でしたが、味は日本人好みに仕上がり、人気が出ました。

最近では、東郷が赴任していた広島の呉市と、旧海軍の港があった京都の舞鶴市その発祥を巡る論争が巻き起こっているそうです。さらに肉じゃがの起源には諸説あり、「東郷平八郎、肉じゃが発案説」に異論を唱える人も少なくありません。

「肉じゃが」と軍人。従来あった、家庭的なイメージとはちょっと程遠いかもしれません。肉じゃがを見ると、東郷平八郎の顔を思い浮かべざるを得なくなりましたね。

参考:高森直史『帝国海軍料理物語―「肉じゃが」は海軍の料理だった』

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