えっ義賊じゃなかったの!?弱き者の為に盗みを働く「鼠小僧」実はただの盗人だった… (2/2ページ)

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次郎吉は天保3年(1832)5月に上野国小幡藩屋敷で捕まるまでの7年間、71か所90に及ぶ盗みを行っていました。

その全てが武家屋敷であり、理由は一度忍び込んでしまえば広大で閑散としていて自由に動けるからでした。他にも自身の武家屋敷に泥棒が入ったとしても世間体を気にして誰にも言えないという理由もありました。

しかも盗みで手に入れたお金は全て博打で使っていたので捕まった時、次郎吉にはお金がありませんでした。

拷問を受けた3か月後の8月。次郎吉は市中引き回しの上、獄門の刑に処され36歳でこの世を去ります。

鼠小僧次郎吉の墓

市中引き回しの際には有名人な罪人である次郎吉の格好がみすぼらしいと庶民の反感を買うので、薄化粧に口紅、長襦袢に縮青梅の羽織と黄色の帯に黒の腹巻姿を着せ歌舞伎役者のようにしたとされています。

いつしか義賊として語られた

次郎吉はこれまでの盗みの際、誰も傷つけることなく盗みを行いました。また、たった一人で武家屋敷に忍び込んだことが当時の庶民には痛快に思えたことでしょう。

捕まった時にお金がなかったのは貧しい人たちに分け与えたからという噂も相まって、いつしか次郎吉が大罪人ではなく義賊鼠小僧として語られるようになりました。

最後に

盗人から庶民のヒーローとして語られることになった次郎吉こと鼠小僧。

次郎吉自身は私利私欲な理由から泥棒家業をしていたにも関わらず、義賊として扱われていることに頭を抱えているかもしれませんね。

庶民の反応を見ていると江戸期は次郎吉のような、これまでの社会に異を唱える英雄を求めていたと考えてしまいます。

参考:水戸計著『教科書には載っていない江戸の大誤解』

鼠小僧

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