陵墓としては初めて世界遺産への登録が認められた百舌鳥・古市古墳群 (2/2ページ)

心に残る家族葬



■古墳の種類にはどんなものがあるのか

古墳の種類はと聞かれて真っ先に思い浮かべるのは歴史の教科書に出てくる鍵穴のような形をした前方後円墳だろう。前方後円墳は日本独自の形とされており、北は岩手県から南は鹿児島県まで、広く分布している。現在確認されているものは全国で約6000基で巨大なものは近畿地方に集中しているが、数では東日本が多い。前方後円墳は選ばれた者だけの特別のものであり、ヤマト政権の有力者たちがこぞって巨大なものを造ったのである。

古墳の中でもっとも数が多いのは円墳で、次が方墳である。弥生時代にあった円墳や方墳より墳丘が高くなっていて、地位あるものの墓だということを示していると考えられている。前方後円墳が造られなくなって以降、有力者たちは方墳を選んだとされている。

■百舌鳥・古市古墳群の歴史的価値、特徴、副葬品など

百舌鳥・古市古墳群は古墳時代の最盛期に築造された、古代日本列島の王たちの墓群で、歴史的にも重要な古墳群である。中国の歴史書「宋書」には5世紀頃日本に5人の有力な王(讃、珍、済、興、武)が現われたとの記録が残っている。讃には応神説、仁徳説、履中説があり、珍には仁徳説、反正説があるが特定するには至っていない。しかし築造年代から見て彼らがここに葬られていることは間違いないと思われる。

百舌鳥・古市古墳群は墳丘が巨大であること、濠が多重化していること、陪塚(ばいちょう)が多数配置されていること、古墳の巨大さを引き立てるように大阪湾を望む台地や丘陵に立地していることなどが特徴としてあげられる。

百舌鳥・古市古墳群からは様々な形をした埴輪の他、副葬品として「甲冑」「鏃」「刀剣」「鍬鋤先」など鉄製品が大量に出土している。

■仁徳天皇陵に埋葬されているのは仁徳天皇なのか

現在、仁徳天皇陵に埋葬されているのは実は仁徳天皇ではないかもしれないと考えられている。古墳の成立時期と仁徳天皇の在位年代に大きな開きがあることが、研究により明らかになったのだ。実地調査すれば被葬者が誰か判るかもしれないが、皇族の「陵墓」は宮内庁の管轄であり、立ち入りが禁止されているため調査できないのが現状である。もし実地調査ができるなら、日本の歴史が大きく変わる可能性があるのではないだろうか。

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