その愛想笑い、ほんとに必要ですか? (2/3ページ)
(※)『顔表情からのネガティブ感情認知における日タイ異文化』(堀本 美都子、米谷 淳)
喜怒哀楽の感情とその表情は、人類に普遍的なものだと、わたしたちは考えがちです。ですが、日本とタイでほほえみの種類がちがうように、喜怒哀楽の表情は普遍的ではありません。日本人の愛想笑いを理解できないという欧米人がいても、当然といえば当然なんです。
■愛想笑いはコミュニケーションの戦略
人には喜怒哀楽の感情があるわけですが、怒っていたり、悲しんでいたりする人がそばにいると、こちらはどうしていいのか困りますよね。たいていの場合、そういう人と一緒にいたいとはあまり思いません。それよりも、楽しそうにしている人、笑顔でいる人と一緒にいたいと感じます。
つまり、笑顔のひとつである“愛想笑い”も、他人と円滑なコミュニケーションを取ろう、仲良くしよう、という戦略として生まれたといえるわけです。少なくとも、愛想笑いが一般的な日本の社会では、それが不要とはいえないでしょう。
◇愛想笑いは、文化や社会によって異なる
愛想笑いが効くかどうかは、人の心理の問題ではなく、その人がどんな文化や社会で生きているかに影響されます。
文化や社会によるちがいというのは、実におもしろいものです。たとえば、日本人は魚介のイカとタコを区別できますが、同じに見えるという人たちがいます。「えー?」って思うでしょう。ですが、自分が生きている文化や社会にイカやタコがなければ、見分けがつかないんです。
同じように、笑顔やほほえみを区別する社会に生きていなければ、そのちがいを相手に伝えることはできません。日本人がタイ人の10種類以上のほほえみを読み取れないように、愛想笑いも、その人がどんな文化や社会で生きているかによるものです。ちなみに、世代のちがいや性別のちがいでも、“生きている社会”は異なってきます。
■愛想笑いするのに疲れたときは……
なぜ愛想笑いをするのかといえば、“人の機嫌を取る”ためですよね。おもしろくない話でも、相手がおもしろいだろうと聞かせてくるから、仕方なしに笑う。正直なところ、こんなの面倒だし疲れます。