源義経は複数いた?美男子ではなかった?日本各地に残る義経伝説の実情とは

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源義経は複数いた?美男子ではなかった?日本各地に残る義経伝説の実情とは

歴史上には多くの英雄が登場しますが、源義経も日本の歴史において人気の高い英雄のひとりといえるのではないでしょうか。義経は、源平合戦である「一の谷の合戦」や「壇ノ浦の戦い」において数々の奇襲戦法を思いついて、見事源氏を勝利をもたらしました。まさに「戦の天才」を冠するにふさわしい活躍ぶりです。

中尊寺所蔵の義経像(Wikipediaより)

また、義経の人気はそれだけではなく、平家を滅ぼした最大の功労者でありながら兄の源頼朝から冷たくされ、そのあげく追討されたことも、ドラマとしてはヒットするネタとなる要素を含んでおり、そのため江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃に取り上げられるようになりました。

こうして、義経は「悲劇の英雄」としての印象が強くなり、「判官びいき」という言葉が生まれるほど、ますますその人気を高めていったのでした。

映画やテレビドラマで描かれる義経がみな、イケメン俳優によって演じられてきたことも義経人気に拍車がかかりました。メディアによって義経が美男子だというイメージが完全に定着、いまや男性ファンのみならず女性ファンまでも数多く獲得しています。

ところが、上記の義経に関わるイメージには誤解も多く含まれています。

義経、合戦で思わぬ失態?

例えば、有名な一の谷の合戦で見せた「鵯越えの逆落とし」という奇襲戦法。こちらは現在伝えられているものとはずいぶん違ったという指摘があります。逆落とし自体がフィクションだったという説さえもあります。

また、「屋島の合戦」では、思わぬ失態をさらしてもいます。この合戦では義経は馬に乗って平家の兵をおいかけ、海のなかまで入っていきました。すると、平家軍は船から熊手を伸ばし、義経の兜にひっかけ馬から落とそうとしました。大将の義経は源氏の兵に守られましたが、弓をうっかり海の中に落としてしまいました。

義経が鞭を使って弓を拾おうとすると、平家軍は熊手で義経をひっかけようとしました。これを陸で見守っていた源氏の武将たちは、「弓はそのまま捨てて、お引き上げなされ」と声をかけました。ところが、義経は聞かず、必死になって弓を取ろうとして、ようやく拾い上げるという有様。ことのなりゆきを最後まで見守っていた武将たちは、気が気でなかったはずです。

義経は小柄で、弓を弾く力も弱かったと伝わります。そのため義経の矢は貧弱なものでした。義経は、その弓を平家の軍勢に拾われて嘲笑されることを嫌がり、必死に探したのだといいます。

頼朝から冷遇されたことも、義経フリークからすると義経に嫉妬した頼朝による「いじめ」のようにも思えますが、実際は義経が後白河法皇の口車に乗せられて、結果的に頼朝の統制に従わなかったことになってしまい、処罰されたことは自業自得だとする指摘もあります。義経は、戦上手ではあったものの、政治家としては無能だったと考えられます。

義経は美男子ではなかった?

そもそも義経は美男子ではなかったのでは?という声も聞こえてきています。義経美男子説の根拠とされる1つとされるのは『義経記』であり、そおんあかで牛若(丸)こと義経は、器量も容貌も不足がなく、非常に色が白く、鉄漿に薄化粧して眉が細く、被衣をかぶって潜んでいる姿は松浦佐用姫や楊貴妃のようだと記されています。

松浦佐用姫は夫が百済に行く際、別れを惜しんで山上で領巾を振り、石になったといわれる伝説の美女のこと。つまり、義経は幼いころから色白の美女のように美しかったということです。

ところが、『平家物語』に記された義経の容貌は、『義経記』とだいぶ異なります。そのなかで義経は、「色が白く、背が低く、前歯が2つ出ていた」と記されています。色は、白かったようですが、美男子だったとは思えません。さらに、『源平盛衰記』にも「顔が長くて、身長は短く、色が白くて歯が出ている」と記してあります。

3つの文献から確実にいえそうなのは色が白いことだけ。3つの文献を参考に義経の容貌を想像すると、「色白の小柄の男で前歯が出ていた」というのが真相のようです。

では、にもかかわらず義経美談施設が後世に伝わったのはどうしてでしょうか。

2人の義経?

実は、その原因は2人の義経にあるとされる見方があります。つまり、美女のように美男子だったのは、牛若と呼ばれた源義経のほうで、源平合戦で活躍したのは牛若と呼ばれたほうではなく、もう一人の義経の方だったでは?といわれています。

そのもう1人の義経とは、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』に登場する山本義経のこと。山本は、近江(滋賀県)の住人で、ここで武者修行をして戦の天才と呼ばれる素地を身につけたといわれています。一方の義経は瀰漫し、もう一方の義経は戦の天才。こうして、両方のいいところを合わせて作られたのが、後世に伝わった義経だというわけです。

『吾妻鏡』における山本義経の記録は木曽義仲との戦いの途中からすっかりなくなってしまいます。そして、源義経の華々しい登場と入れ替わるようにその存在は影をひそめます。

悲劇の武将義経の逃亡から自刃の軌跡は、日本各地に「義経伝説」を残しました。

ひょっとすると、日本各地残された義経伝説の中には、山本義経に因むものも混交されているのかもしれませんね。

参考:

黒板勝美 『義経伝』 伊藤 加津子 『九郎義経の謎―三人の義経』 関幸彦『源義経 ~伝説に生きる英雄~』

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