源義経は複数いた?美男子ではなかった?日本各地に残る義経伝説の実情とは (1/3ページ)
歴史上には多くの英雄が登場しますが、源義経も日本の歴史において人気の高い英雄のひとりといえるのではないでしょうか。義経は、源平合戦である「一の谷の合戦」や「壇ノ浦の戦い」において数々の奇襲戦法を思いついて、見事源氏を勝利をもたらしました。まさに「戦の天才」を冠するにふさわしい活躍ぶりです。
また、義経の人気はそれだけではなく、平家を滅ぼした最大の功労者でありながら兄の源頼朝から冷たくされ、そのあげく追討されたことも、ドラマとしてはヒットするネタとなる要素を含んでおり、そのため江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃に取り上げられるようになりました。
こうして、義経は「悲劇の英雄」としての印象が強くなり、「判官びいき」という言葉が生まれるほど、ますますその人気を高めていったのでした。
映画やテレビドラマで描かれる義経がみな、イケメン俳優によって演じられてきたことも義経人気に拍車がかかりました。メディアによって義経が美男子だというイメージが完全に定着、いまや男性ファンのみならず女性ファンまでも数多く獲得しています。
ところが、上記の義経に関わるイメージには誤解も多く含まれています。
義経、合戦で思わぬ失態?例えば、有名な一の谷の合戦で見せた「鵯越えの逆落とし」という奇襲戦法。こちらは現在伝えられているものとはずいぶん違ったという指摘があります。逆落とし自体がフィクションだったという説さえもあります。
また、「屋島の合戦」では、思わぬ失態をさらしてもいます。この合戦では義経は馬に乗って平家の兵をおいかけ、海のなかまで入っていきました。