【珍説】9代将軍・徳川家重は女性だった?もしそうなら10代将軍・家治の父親は誰!? (2/3ページ)

Japaaan

徳川家重:画像出典:Wikipedia/伝狩野英信画、徳川記念財団蔵

また頻尿だったことから「小便公方」というありがたくないあだ名で呼ばれていました。
江戸城から上野寛永寺までの4kmほどの間には、なんと23箇所もトイレを設置していたというから驚きです。
当時は将軍が外出時にトイレをもよおした場合、「公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)」という役職の者が銅製の筒を将軍の袴から差し込み、用を足させていました。
それなのにトイレをたくさん作っていたことについて「女性だから筒では用が足せなかったのでは?」という見方があるのです。

また幼少の頃から大奥に籠って酒と女に溺れていたと言われていますが、その割に子供は少なく、側室・お幸の方と於遊喜の方との間にそれぞれ男の子が1人ずつ。

さらに歴代将軍の遺骸の中で、家重だけが女性の遺骸の収め方である正座の姿勢で埋葬されていたことや、骨格・歯形などの身体的特徴が女性的だったことなども「家重女性説」に拍車をかけることとなりました。

十代将軍家治の父親は誰!?

さて家重が女性だったとすると、彼の嫡男で十代将軍となる家治と、次男で清水徳川家の初代当主となる重好の父親は誰だったのでしょうか?

この時期、将軍だけが入ることのできる大奥に立ち入ることのできた男性は、家重の父で先代将軍である吉宗と、家重の不明瞭な言葉を唯一聞き取ることができた側近・大岡忠光だけでした。

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