歴代総理の胆力「東条英機」(1)天皇への忠誠心に富んでいた (2/2ページ)
しかし、交渉は米国側の受け入れ難い過大な要求はのめずで決裂、開戦は避けられないものとなっていった。この局面で、東条は人目もはばからず、無念の涙を流したとされている。
日米開戦は緒戦の真珠湾攻撃、マレー沖海戦などで勝利となり、結果的にはこれが災いした形で戦争終結への方策を欠いてしまった。やがて、戦運は暗転、利あらずしてのサイパン陥落により、日本の敗色は色濃くなっていった。
これにより、一方で独裁色を強めた東条内閣への倒閣運動も活発化した。東条は内閣改造でこれを凌ごうとしたが、これを果たせず、総辞職に追い込まれた。緒戦の勝利をもって戦争終結へ向けて舵を切る東条の英断があれば、「泥沼」に陥ることに回避の余地があったかも知れなかったのだった。
■東条英機の略歴
明治17(1884)年12月30日、東京生まれ。陸軍大学校卒業。第二次・第三次近衛内閣陸相を経て内閣組織。参謀総長を兼任。総理就任時、57歳。A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判で死刑判決。昭和23(1948)年12月23日、刑死。享年63。
総理大臣歴:第40代1941年10月18日~1944年7月22日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。