歴代総理の胆力「東条英機」(1)天皇への忠誠心に富んでいた (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「東条英機」(1)天皇への忠誠心に富んでいた

 近衛文麿退陣後、日米開戦を決断、「悪の権化」視された東条英機が総理大臣に就任するまで、次のような政権の動きがあった。

 近衛文麿の第一次内閣が、「日独伊防共協定」の強化問題などの難航で政権を放棄したあと、近衛の強い推薦で後継総理となったのは、わが国初の司法界出身の平沼騏一郎だった。

 平沼は国粋主義を信奉、しばしば「鬼検事」として政党政治に混乱を持ち込んだ。政権に就いたあと、「独ソ不可侵条約」の締結に際し、「欧州情勢は複雑怪奇」の“名文句”を残したうえで辞職した。

 その平沼の退陣を受けて担ぎ出されたのは、人柄はよかった陸軍の長老で「派閥抗争のラチ外」「政治的無色」が幸いした阿部信行だったが。しかし、一国のリーダーとしてはあまりの力不足を露呈、半年ももたずに退陣を余儀なくされた。

 阿部の後継は「海軍英米派のエース」とされた米内光政だったが、「日独伊三国同盟」に抵抗したものの陸軍の反発強く、阿部同様に約半年の短命政権で終わっている。

 そうした中で、第三次近衛内閣退陣を受けて総理に推されたのは、米国との開戦に踏み切ったうえ、敗戦後は最高戦争責任者として絞首台の露と消えた東条英機だった。

 東条の総理就任は、昭和天皇側近の木戸幸一内相の狙いの中で決まった。木戸には「統制派」を中心とする陸軍の最大実力者だった東条を総理とすることで、「皇道派」を含めた陸軍の開戦への意向を阻止できるだろうとの期待感があった。また、東条が天皇への忠誠心に富み、天皇もまた東条への信任が厚かったことも背景だった。

 しかし、期待は裏切られ、東条自身は戦争という大事を前にしての一国のトップリーダーとしての先見力、洞察力に乏しく、ズルズルと太平洋戦争の泥沼にはまり込んでいったのだった。陸軍官僚時代は、「カミソリ東条」と言われたように有能で、上司に対して忠誠心厚く、部下に対しても配慮を怠らずの、上からも下からも人望は厚かったが、トップリーダーとしての重みには耐えられなかったということのようだった。

 東条が総理となる頃、世の流れは太平洋戦争に向け、すでに引き返せない段階にあった。しかし、東条は天皇の意向に添い、ギリギリまで戦争回避を目指して対米交渉に奔走した。

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