平安最強!謎の黒づくめ集団を率いた平致経の要人警護が京都で話題に【後編】

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平安最強!謎の黒づくめ集団を率いた平致経の要人警護が京都で話題に【後編】

これまでのあらすじ 平安最強!謎の黒づくめ集団を率いた平致経の要人警護が京都で話題に【前編】

平安最強!謎の黒づくめ集団を率いた平致経の要人警護が京都で話題に【中編】

時は平安、急遽深夜に遠出しなければならない用事ができた明尊僧都(みょうそん そうず)に、関白・藤原頼通(ふじわらの よりみち)が護衛につけてくれた大矢左衛門尉(おおや さゑもんのじょう)こと平致経(たいらの むねつね)

見た目こそ冴えなかったものの、道中で謎の黒づくめ集団を事もなげに統率し、完璧なボディガードを務めます。

そして任務を達成すると、黒づくめ集団は音もなく去っていき、明尊は「げに奇異(あさま)しきわざかな」と驚嘆するのでした。

黒づくめ集団の凄さと、致経の寄せた全幅の信頼

以上が『今昔物語集』巻二十三「左衞門尉平致經、明尊僧正(※)を導きし語(こと)」の伝える顛末ですが、これだけだと致経の凄さがいまいちピンと来ないかも知れません。

(※)題名では明尊の位が「僧正(そうじょう)」になっていますが、このエピソードの当時は「僧都」だったそうです。

「……ただ黒づくめのSP集団を手配して、要人を警護・送り迎えしただけでしょ?」

そう感じられるかも知れませんが、考えてみて下さい。

明尊の深夜外出は予定されていたものではなく、突発的な事態であるにもかかわらず、致経は(傍にいた下人を除く)二十八名の部下をたちどころに手配したのです。彼がその気になればいつでも出発できるよう、常にすぐ近くで待機させていなくては出来ない芸当です。

「待つことも、大切な任務ぞ」「しかし眠いのぅ」

その二十八名にしても、食事や仮眠などの時間が不可欠ですから、当然交代要員が必要になります。となると、今回登場しない人員が最低(二交代制)でも二十八名、三交代制なら五十六名いることになり、これだけでも合計五十六~八十四名以上の部下を抱えていたことになります。

それだけではありません。いざ致経の出発に際して十字路の両脇で出番待ちをする時、そのスポットが誰かに占拠されていたら(例:乞食が掘っ立て小屋を建てた、等)格好がつきません。

普段から各スポットの管理やメンバーの生活サポートを担当する裏方も必要でしょうから、少なくとも百名前後の部下が抱えられていたものと推測されます。

そしてそれだけの大人数が、いざ致経の命令一つで阿吽の呼吸(パフォーマンス)を見せ、致経も無言でこの働きに全幅の信頼を寄せているのですから、見事というより他に言葉がありません。

終わりに・主従の絆

こうした水も漏らさぬ緊密な連携は、単に報酬や食い扶持で雇われただけでは築き得ず、恐らく幼少の頃より長く濃厚な時間を共に過ごし、致経の抱く大志や人生のビジョンを共有すればこそ成し得たのでしょう。

「俺たちみんなで致経を盛り立てるんだ!」

「……あぁ、アイツは俺たちがいないとダメだからな」

戦場でこそ「大矢」の二つ名で恐れられた猛者でしたが、日常ではどこかぼんやりとしていて、こと世渡りとなるとからっきしだった致経をみんなで支え、一廉(ひとかど)の侍にしてやろうと、黒づくめの旧友たちが一生懸命に支えた様子が目に浮かぶようです。

「皆が御大将のために、御大将が皆のために」

かつて歴史の表舞台で活躍した者たちの陰には、こうした無数の者たちの存在があり、彼らの働きによって多くの偉業が成し遂げられてきたのでしょう。

【完】

※参考文献:
菅野覚明『武士道の逆襲』講談社現代新書、2004年10月19日
福永武彦 訳『今昔物語集』ちくま文庫、1991年10月24日

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