ソ連に操られていた…アメリカが隠していた「不都合な真実」 (2/3ページ)

新刊JP

ソ連がはじめて核実験を成功させたのはアメリカに遅れること4年、1949年のことだった。たった4年である。不自然ではないだろうか。核物質の精製技術や兵器化の技術というのは、当時のソ連の技術水準からしてそれほどの短期間にものにすることができるものだったのか。

「ヴェノナ作戦」がソ連の暗号通信を徐々に解読できるようになったのは1946年。すでに戦争は終わり、「独ソの平和交渉」の証拠をつかむという当初の目的はすでに無意味になっていた。

しかし、最初にまとまった文章として解読された通信内容が示していたのは驚くべき事実だった。ソ連はアメリカ最大の秘密計画だった原爆プロジェクトに深く浸透していたのだ。

ソ連は主にアメリカ共産党員をエージェントとしてリクルートし、国内に大規模なスパイネットワークを作り上げていた。それはアメリカの国家中枢にまでおよび、軍事と外交に関わるほとんどすべての主要官公庁の内部に多数のスパイを獲得していた。アメリカの原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」の内部でも、クラウス・フックスとセオドア・ホールの二人の物理学者、そして技術者のデイヴィッド・グリーングラスらが、ソ連に多くの技術情報を渡していたとされる。

ソ連がわずかな期間できわめて安価に核開発を成功させることができたのは、米国のスパイからもたらされる情報によるところが大きかった。このスパイネットワークを通じて、アメリカの原爆プロジェクトはソ連に筒抜けだったのである。

話は原爆だけにとどまらない。後の捜査でわかったことだが、スパイの中にはイギリスのウィンストン・チャーチルやルーズベルトと個人的に会うことができるほど高位にあった者もいれば、軍の高官もいた。外交官もいた。

そして厄介なことに、「ヴェノナ作戦」によるソ連通信の解読文に出てきた、ソ連に協力するアメリカ人の数は349名。しかし大部分はコードネームを使って活動しており、本名を特定できたのは半数以下だったという。残りの半数以上は摘発されることなくスパイ行為を続け、国家の中枢でアメリカの利益を損ねる行動を繰り返しているのかもしれなかった。

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