ついに人間の世界へ(涙)江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【四】
これまでのあらすじ
時は江戸前期の寛文十1670年1月。遠州灘で遭難した紀州のみかん商人・長右衛門(ちょうゑもん)ら7名は、約1か月半の漂流生活の末に無人島(現:小笠原諸島・母島)にたどり着きます。
船頭・勘左衛門(かんざゑもん)の死を乗り越え、長右衛門たちは心ひとつに力を合わせてたくましく生き延びながら、廃材をかき集めて船を一艘造り上げます。
約50日間をかけて船は完成。果たして寛文十1670年4月11日ごろ、長右衛門たちは生還を期して出航したのでした。
これまでの記事
3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【一】 3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【二】 3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【三】 順風満帆、ついに人間の世界(八丈島)へ……さて、万全を期して造り上げた船は見事に航海を耐え抜き、その日の内に島から島(現:小笠原諸島・父島)への渡航に成功。自分たちの船が、ちゃんと海を渡れることが証明されたのです。
「やったぁ!」
今回の航海テストはみごと合格できたので、今度はより長い航海に耐えられるよう食糧の備蓄を増やし、航海中に感じた船の不具合を改良するなど、現地に6日間滞在。
誰もがみんな、一つの目標に向かって自分が出来る最善を尽くし、やりがいに満ち溢れていたことでしょう。
そして待ちかねた南風が吹いた4月16日にタイミングを逃すことなく出航、まさに順風満帆状態で翌17日の朝に小島(現:小笠原諸島・聟島列島)に到着。ここでは船のメンテナンスと食料調達のために2日間滞在します。
それから8日間の航海を経て、ようやく人が住んでいる八丈島に到着。
「人がおる、村がある……!」「ばんざーい!」
最後に港を出た1月5日以来、自分たち以外の人間を目にしたのは本当に久しぶりです。
「ところで、今日は何月何日じゃ?」
「日付も判らんようになりなすったか……まぁ随分とご苦労なすったようじゃの。今日は4月25日じゃ」
旧暦の1か月はすべて30日ですから、勘定すると実に110日(25日+30日+30日+25日)ぶりの接触となります。
もしかしたら、人恋しい感情さえ忘れかけていたかも知れませんが、人間社会に戻って来られた長右衛門たちの喜びは、想像するに余りあります。
これまでの足取りをおさらいさぁ、八丈島までやって来られれば、本土はもう目前です。
長右衛門たちはしばらく八丈島で逗留しますが、これまでの疲れをじっくりと癒し、船の最終メンテナンスに勤しみながら、これまでの苦労を思い返します。
【長右衛門の漂流記録】※島の名前は現代表記
寛文九1669年
11月15日 紀伊国宮崎(現:和歌山県有田市宮崎)から出港
11月16~17日ごろ 志摩国安乗浦(現:三重県志摩市)に入港、日和待ちで滞在
寛文十1670年
1月5日 志摩国安乗浦から出港
1月6日 遠州灘にて遭難(漂流45日間)
2月20日 母島に漂着
2月21日 勘左衛門が亡くなる
4月8~10日ごろ 船が完成、出航準備
4月11日ごろ 母島から出航、父島に到着(6日間滞在)
4月16日 父島から出航(航海2日間)
4月17日 聟島列島に到着(2日間滞在)
4月18日 聟島列島から出航(航海8日間)
4月25日 八丈島に入港
実質的な漂流生活は1月6日~4月25日の3か月&20日間となりますが、故郷の紀州を出港した11月から、実に半年近くが過ぎていました。
そして5月5日に八丈島を出港した長右衛門らは、6人揃って5月7日の昼に伊豆国下田(現:静岡県下田市)に入港、その足で下田奉行所へ出頭したのでした。
【続く】
※参考文献:田中弘之『幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島』中公新書、1997年10月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


