歴代総理の胆力「鈴木貫太郎」(2)「老子」一冊を友に辞任決断 (2/2ページ)

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また、いまだかつて経験されたことのない環境の激変に、自らの帰趨を定めることはできないでしょう。しかし、大死一番、一夜の号泣から醒めたその瞬間から、過去一切の恩讐を超え、また一切の利己的な考えを断ち切って、本土の上に、民族永遠の生命を保持発展せしめていくのであります」

 退陣後の鈴木は郷里の千葉県関宿に帰り、「死は易く、生は難い。最高責任者として終戦をした以上、その結果をこの目で見たい」と口にしていた。しかし、政界はこの老練なリアリストを放っておいてくれず、再度、枢密院議長のイスに座らされ、天皇の「人間宣言」に伴う新憲法の“枢府通過”への尽力を余儀なくされたのだった。

 明治維新の前年に生まれ、「大日本帝国」の終焉に立ち会った鈴木は、昭和23(1948)年4月17日、肝臓ガンのため80歳で没した。尽力した新憲法が施行されて、1年後であった。

■鈴木貫太郎の略歴

慶応3(1867)年12月24日、和泉国(大阪府)生まれ。日清戦争に水雷艇長として従軍、日本海海戦に参加。連合艦隊司令長官、侍従長。「二・二六事件」で襲撃され重傷。総理就任時77歳。昭和23(1948)年4月17日、肝臓ガンで死去。享年80。

総理大臣歴:第42代1945年4月7日~1945年8月17日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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