やっぱり浮世絵師・鈴木春信が好き!代表作「風俗四季哥仙」に観る春信の魅力 その2

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やっぱり浮世絵師・鈴木春信が好き!代表作「風俗四季哥仙」に観る春信の魅力 その2

前回に引き続き、江戸の浮世絵師・鈴木春信の「風俗四季哥仙」から今回は2月の“風俗四季哥仙 竹間鶯”と“風俗四季哥仙 二月”をご紹介します。

1月については前回ご紹介した“風俗四季哥仙 立春”をご覧下さい。

やっぱり浮世絵師・鈴木春信が好き!代表作「風俗四季哥仙」に観る春信の魅力 その1

風俗四季哥仙 竹間鶯 風俗四季哥仙 竹間鶯

鈴木春信 風俗四季哥仙 竹間鶯

江戸時代は太陰太陽暦という月の満ち欠けをもとにした暦を使っていました。そのため現在私達が考える2月とは違い、江戸時代の人々の考える2月は現在の2月下旬から4月上旬頃でした。ちなみに東日本ではだいたい3月頃に鶯の“初音”を観測するそうです。

鶯は別名“春告鳥”とも呼ばれ、その“初音”は春の到来を告げるものとして人々を楽しませていました。鶯のさえずりを「ホーホケキョ」と連想する方が多いと思いますが、他にも「チヨッ、チヨッ」とういう地鳴きという鳴き方もします。

風俗四季哥仙 竹間鶯 歌の部分

風俗四季哥仙 竹間鶯 (部分)

絵の上部の雲を描いたような部分に、玉葉集の北条貞時の和歌が書き込まれています。

窓ちかき 竹のは風も 春めきて 千代の声ある やとのうくいす
(訳)窓近く生える竹の葉を吹く風も春らしくのどかで、「ちよ、ちよ」と千代の春を祝うかのような声で鳴く我が家の鶯よ。

風俗四季哥仙 竹間鶯(部分)

風俗四季哥仙 竹間鶯(部分)

これがその“鶯”です。昔から愛されていたんですね。江戸時代には“鶯合(うぐいすあわせ)”という鶯の鳴き声の美しさを競う遊びもありました。

さて、この歌からするとこの絵に描かれている少女達は、この竹藪のある屋敷の娘たち、良家のお嬢さんでしょうか。

この二人の少女たちの関係性を考えると、右側の座って草花を摘んでいる女性はおめでたい松の模様の振袖を着ています。

風俗四季哥仙 竹間鶯(部分)

風俗四季哥仙 竹間鶯(部分)

この頃、振袖の着物を着ることができるのは“こども”と呼ばれるような少女まででした。しかも町人は着物は高価なものであったため、古着を着るのが普通のことでした。ということは相当なお金持ちの十四、五の少女だと思われます。

風俗四季哥仙 竹間鶯(左部分)

風俗四季哥仙 竹間鶯(部分)

左の少女を見ると振袖ではありません。この頃、結婚しているの有無に関わらず振袖は19歳までという説もあり、この少女は19を過ぎた年頃だと考える事もできるのですが、私が気になるのは、おはしょりの下に結ばれている“抱帯”の存在です。

この時代、女性の着物の長さは長くなり、室内では“おひきずり”の状態で着用していました。しかし、外出する際は着物の裾が汚れるので、着物の丈を“はしょって”袋帯で結んで留めたのです。あるいは着物の丈をはしょって帯で調節する着方もありました。

右の少女の“松の模様”の振袖の少女は座っているので、袋帯を締めているのか分かりませんが、左の少女の着物は右の少女の着物に比べるとやや質素なようにも見受けられます。

もしかすると左の少女は右の少女の世話係の女性であるのかもしれず、そのため働きやすい“小袖”の着物を着ているのかもしれません。

風俗四季哥仙 竹間鶯(足袋の部分)

風俗四季哥仙 竹間鶯(部分)

しかし、左の女性は足袋を履いています。寒いのだから足袋を履くのは当然だろうと思われる方も多いと思いますが、この頃足袋は高価なもので、もし世話係の女性であれば裸足であっても不思議ではないのです。ということは左の女性もこの屋敷の娘なのか・・・などと当時の人もこの絵をみて、あれこれ読み込んで楽しんだのです。

姉妹なのかどうかは別にして、右側の少女は草花を好むような女の子らしい少女で、左の少女は右の少女よりは多分同い年か年上で、竹藪の中の“鶯”を見つけ出すような活動的で少し“おきゃん”な少女なのだと筆者は読み込みました。

何はともあれ二人の少女はとても仲の良い間柄なんですね。見る人が微笑ましく思えるような絵ではないでしょうか。

風流四季哥仙 二月 風俗四季哥仙 二月

鈴木春信 風俗四季哥仙 二月

鈴木春信は子供のみを絵に描く“子供絵”といわれる浮世絵に描くことが多い絵師でもあります。さてこの子供たちは何をしているのでしょう。まず、和歌から読み解いていきましょう。

風俗四季哥仙 二月(部分)

風俗四季哥仙 二月(部分)

きさらきや けふ初午の しるしとて いなりの杉ハ もとつはもなし

光俊朝臣『新撰和歌六帖』より

(訳)如月の初午に参詣した人々が、そのしるしとして、杉の小枝をとっていくので、稲荷山の杉はすっかり葉がなくなってしまった。

如月とは二月こと。その二月の最初の午の日に、全国の稲荷神社では“初午大祭”が行われます。落語に江戸の名物として「武士、鰹、大名、小路、生鰯、茶店、紫、火消し、錦絵、火事に喧嘩に中っ腹、伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言葉があります。それほど“お稲荷さん”は神社だけでなく、ほこらや、武家屋敷・長屋の共同スペースなど江戸の町のあらゆる所にありました。それほど稲荷信仰が盛んだったのです。

伏見稲荷パブリックドメイン

もともと京都の伏見稲荷の主神ウカノミタマガミは“田の神”でした。そのため元は五穀豊穣を願い、それがやがて家業の繁栄、一家一族の繁栄、商売繁盛を願うようになったのです。

というわけで、二月の最初の午の日に人々は神社に参詣する風習が生まれたのです。

初午の日、稲荷の前では子供たちが“正一位稲荷大明神”の幟をたてて、笛や太鼓を打ち鳴らして家々をまわります。そして小銭やお菓子・豆などをもらったりしました。また武家屋敷や、裕福な商家などが屋敷を開放し、子供たちを招待したりすることもあったとか。

長屋の子供たちにとって、この日は盆と正月とハロウィンが一緒に来たようなお祭りだったのですね。これは欠かせない年中行事だったのでしょう。

さいごに

風俗四季哥仙シリーズですが、前掲の“風流四季哥仙 二月”ともう一つ“風流四季哥仙 水辺梅”という作品のみ“風俗”ではなく“風流”と名付けられています。

鈴木春信は多くの絵暦を手掛けているので、混乱したのか。他に“風流・・・”という作品集があるのか?しかしその事実は認められていません。“風流四季哥仙 水辺梅”については著作権等の問題がありここではご紹介できませんが、またいつか皆さんにご紹介できるときがあれば幸いです。

次回、“風俗四季哥仙 (その3)”に続きます。

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