息子ごと釜茹で処刑された大泥棒・石川五右衛門、実際の刑は釜茹でではなかった? (2/2ページ)

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ところが、実はこのとき釜を満たしていたのは熱湯ではなく植物油でした。つまり、五右衛門は正確には茹で殺されたのではなく煎り殺されたのです。

茹で殺されるのも、煎り殺されのも似たようなものかもしれませんが、多少ニュアンスが違ってきます。もっとも、この処刑方法は貴重な油を大量に使用する必要があるため、派手な逸話だらけの五右衛門らしいといえばそうなのかもしれません。

尚、鴨川の七条辺には明治時代まで「釜が淵」と呼ばれた場所がありますが、石川五右衛門の処刑に使った釜を鴨川に捨てた翌年に、洪水によりその地に流されたことに由来しているそうです。

参考

檀 一雄『石川五右衛門』(1951 新潮社) 歴人マガジン

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