歴代総理の胆力「吉田茂」(2)政治生命を賭けた「講和条約」 (2/2ページ)

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 しかしその後、いささか自信過剰、傲岸な振る舞いが目立つようになり、吉田政権には一気に「翳り」が生じることになるのだった。

■吉田茂の略歴

明治11(1878)年9月22日、東京生まれ。貿易商・吉田健三の養子となる。外相を歴任後、昭和21(1946)年5月内閣組織、総理就任時67歳。対日講和条約調印をはさんで、第5次内閣まで。昭和42(1967)年10月20日、心筋梗塞のため死去。享年89。

総理大臣歴:第45代1946年5月22日~1947年5月24日、第48~51代1948年10月15日~1954年12月10日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

「歴代総理の胆力「吉田茂」(2)政治生命を賭けた「講和条約」」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2019年 10/31号内閣総理大臣サンフランシスコ講和条約小林吉弥吉田茂社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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