もう巨人の時代ではない!? ソフトバンク日本シリーズ制覇で生まれた因縁バトル

日刊大衆

写真はイメージです
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 圧倒的な強さで三連覇を成し遂げた鷹軍団。勝負の裏では、2人の球界レジェンドの因縁がうごめいていた!?

「19年前の仇を取ってもらいたいね」 読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスの対戦となった今年の日本シリーズ。開幕直前、ソフトバンクの王貞治会長は、こう口にしていたという。19年前のリベンジ――。事の発端となったのは2000年に開催された、ソフトバンクの前身・福岡ダイエーホークスと巨人との日本シリーズ。王貞治、そして長嶋茂雄(現・巨人軍終身名誉監督)という球界のレジェンドが、監督として相まみえることになったのだ。「20世紀の最後に、あのONが日本一をかけて戦うなんて、あれ以上のドラマはない。両球団のファンのみならず、全国の野球ファンが盛り上がりました」(当時を知る元記者)

 当時“ミレニアム対決”とも称された長嶋巨人と王ダイエーの決戦。しかし、ONそれぞれの立場は、同じ“巨人V9戦士”でも大きく違っていた。「王さんは、満を持して1984年に巨人の監督に就任しましたが、5年間で1回しか優勝できず解任。本人の無念さ、悔しさはかなりのものだったようです」(元巨人担当記者)

 その大きな屈辱をバネに、“世界のホームラン王”は95年、ダイエーの監督として再出発する。「ダイエーのオファーを受けた理由として、王さんは巨人と対戦しないパ・リーグの球団であること、そして、東京から一番遠い土地であることを挙げていたといいます。これは事実上の“決別宣言”だったのかもしれません」(前同)

 王の覚悟は、当時の背番号にも表れていたようだ。「王さんが巨人の監督をクビなったのが88年。本人としては、翌年も引き続き指揮を執るつもりだったわけです。そんな思いから、“89番”を選んだといわれています」(球界関係者)

 しかし、その頃のダイエーは、弱小の新興球団。監督の王はなかなか結果が残せず、心ないファンから生卵をぶつけられる事件まで起きた。「親会社の業績不振もあり、補強すらままならない状況に、王さんは周囲から“そんな泥船に乗っていると、経歴に傷がつく”と退任を説得されたこともあったそうです。これに王さんは“泥船だからこそ、最後まで乗らなくてはいけない。それが監督の責任だ”と、キッパリと言い切ったといいます」(前同)

 そんな王の並々ならぬ決意は、徐々にチームを変えていく。そして99年、ダイエーは初のリーグ優勝、そして日本一に輝いた。

■清原和博や桑田真澄、松井秀喜らスター選手が!

「ダイエーが2連覇を達成して迎えた00年の日本シリーズ開幕直前。王監督は親しい記者に“やっと巨人と戦えるところまで来たよ”と、しみじみ漏らしていました」(球団関係者)

 巨人のV9戦士で、当時ダイエーの助監督兼打撃コーチを務めていた黒江透修氏は、こう振り返る。「ダイエーは前年も日本一になっていたけど、巨人を倒しての日本一は全然違う。ましてや王監督も俺も、巨人には特別な思いを持っていたから、どうしても勝ちたかったよね」

 だが、そんな王ダイエーに立ちはだかったのは、長嶋巨人の超巨大戦力だった。「93年から監督に復帰したミスターは、FA制度をフル活用し、大物選手を次々獲得していった。00年も、ダイエーのエース・工藤、広島の4番・江藤と、超大型補強を敢行しています」(スポーツ紙デスク)

 この2人以外にも、二冠王の松井を筆頭に、清原、上原、桑田、高橋由伸と、00年の巨人にはスター選手がズラリ。2位に8ゲーム差をつけて優勝していた。「この年、巨人のチーム本塁打は203本で、長打率4割4分6厘。とんでもない打線でしたね」(前同)

 王の、巨人への複雑な感情が交錯したミレニアム対決は、結果4勝2敗で巨人に軍配が上がる。「先に2勝しながらの4連敗。王さんはかなり悔しかったようで、“長嶋さんにやられっぱなしはイヤだから、いつかお返ししたい”と言っていたそうです」(球界事情通)

 一方、勝利した長嶋も、盟友の率いるチームに対し、特別な思いを持ったようだ。「シリーズ中、ダイエーの練習を見ていたミスターは、“本当にいいチームだ。これからのパ・リーグは、ホークスの時代になるんじゃないか”と、感心して語っていたんです。今にしてみれば、さすがミスターと言わざるをえませんね……」(前出の元巨人担当記者)

■“背広を着たON”の対決!

 それから19年。再び対峙することになった巨人とソフトバンク。くしくも、両球団が日本シリーズで対戦するのは、ミレニアム対決以来。長嶋と王はすでに現場を離れているが、その勝負への執念は、今なおチームに残っていたという。「今回の日本シリーズは、原巨人対工藤ソフトバンクの戦いじゃない。“背広を着たON”の対決だったんですよ」

 こう語るのはONと親交のある関係者だ。さらに続ける。「工藤は、球団OBとして監督になっているが、チームの骨格を作り上げてきたのは間違いなく王さん。巨人も同様で、近年の長嶋さんは、もはや実質的な総監督。原の再登板も丸の獲得も、長嶋さんのフォローがあってこそ。両球団が2人のカリスマ性で成り立っているのは、疑いようもない事実なんです」

 だが、そんなON対決の再来は、10月23日、ソフトバンクの4連勝という一方的な結果で終わった。王がリベンジを果たした形となったが、前出の関係者は、この結末に「19年間の両者の差が出た感じ」と、こう続ける。「ミスターの代名詞ともなった大型補強は、原監督に受け継がれ、第二次原政権時、10年間で2回も3連覇する黄金時代を築き上げた。しかし、15年の原監督勇退が、巨人の大きなターニングポイントとなりましたね」

 原監督の退任後、巨人は「4年連続V逸」という、不名誉な球団ワーストタイ記録を樹立してしまう。「主力選手の高齢化もありますが、低迷の本当の要因は、近年の補強が失敗続きであること。FAも外国人も、獲得した選手がまるで活躍ができていない。黄金期との違いは、そこに尽きます」(前同)

 球団創設以来の危機に、球団は最後の切り札として原に監督就任を要請。チーム編成まで司る“全権監督”となった原は、60億円ともいわれる大型補強を敢行し、チームを見事、優勝へと導いた。しかし、そんな巨人を冷静に見つめる人物がいた。誰あろう、長嶋茂雄その人だった。今年の日本シリーズ前、長嶋は巨人の現状を次のように分析し、関係者に語っていたという。「“大型補強をした”と言っても、成果があったのは丸だけ。今年は原がやりくりして、うまく選手を乗せて、なんとか勝った感じ。必ずしもパーフェクトな状態じゃない」

 実際、今回のシリーズで原監督は、経験の浅い若手選手たちを起用。ミスも目立ち、敗因の一つとされた。「選手層の薄さが如実に出てしまったね」(球界OB)

■王貞治と長嶋茂雄の闘いはまだ終わらない

 対照的なのが、王者・ソフトバンクだった。「柳田、デスパイネ、グラシアルのクリーンアップに、内川が8番にいる打線は、かなり脅威でしょう」(前同)

 長嶋監督が19年前に“予言”した通り、ソフトバンクと名を変えた福岡の球団は、圧倒的な選手層を誇る“常勝軍団”へと変貌していたのだ。「豊富な資金力を生かしてFAや外国人の有望選手を獲得するのはもちろん、設備を充実させ、選手育成にも力を入れている。今やソフトバンクは、球界トップの巨大戦力。もう、巨人の時代ではない」(スポーツジャーナリスト)

 キューバ出身のデスパイネが4番に座り、育成上がりの千賀がエース。さらには昨年ドラフト1位で入団した甲斐野が活躍しているのを見ても、いかにソフトバンクの補強戦略が成功しているのかが分かるだろう。「昭和の盟主が巨人だとしたら、平成の盟主はソフトバンク。今回の日本シリーズでは、王さんが長嶋さんから“球界の盟主”の座を奪い取ったと見ることもできる」(前同)

 19年ぶりの対決で見えた両球団の形勢逆転劇、そして覇権争いという新たな火種。歴史に残るライバルであるONのバトルは、次の令和のステージへと移り変わったというわけだ。ちなみに長嶋は、前出の巨人の現状を分析した発言に続けて、こんなことも語っていたという。「原は指揮官として最高。必ず的確な補強をして、強い巨人を作ってくれる」

 一方の王もまた、シリーズ中、仲のよい記者に対し、「巨人という球団は、ここ一番というときに強い。それが伝統の力なんですよ」と、かつての古巣への敬意を口にしていたという。

 巨人とソフトバンク、そして長嶋と王の闘いは、まだ終わらない――。(文中敬称略)

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