『歌うたいのバラッド』で“愛してる”を伝えるのは危険だ (2/2ページ)
「今好きな人に歌われてると思ったらマジで泣いた」
「男の人に歌われてたら、たぶん号泣通り越して嗚咽してた」
「でもとりあえず夢をありがとう」
そう、まさかの関取のひとり相撲だったというわけである。
でも考えてみればこの曲はラブソングなのだから、彼女の受け取り方は正しい。私が勝手に自分の想いと重ね合わせて熱唱していただけだ。
何より、たしかに私も愛してるとか超言われたい。好きな人にこの曲を歌われたらマジでヤバい。
「え、超わかる、わかるんですけどー!」というわけで、結果的に予想よりはるかに強い力で私と友人は抱きしめ合ったのだった。
■でも、『歌うたいのバラッド』は本家本元がいい
それ以来、私は気になる人ができたらとりあえず想像をするようになった。その人が『歌うたいのバラッド』を歌っているところを。
しかし私の場合原曲が好きすぎるので、どんなに好きな人でもそれを超える想像をできた試しがない。逆に、これだけはやめてほしいというのなら次々と出てくるのだが。
その中でも一番やめてほしいのが、よくある過度なオリジナルアレンジである。特に、サビ前に無駄にためるタイプのあれ。
今一度原曲を聴いていただければわかってもらえると思うのだが、あっさりとサビに入るところがこの曲のグッとくるポイントでもある。
それをサビ前のBメロで「いつもなら照れくさくて言えない〜〜〜〜(無駄伸ばし)ことも〜〜〜〜(無駄沈黙)」みたいな、いかにも狙っているアレンジをドヤ顔でされたりしたら本当にもう、無理、ダメ、さようなら。
え、実際に誰かに歌ってもらったことですか? ないですよ。全部想像ですよ。でもすごくイヤ。
とにかく、この曲はそういうんじゃないんですよ。あっさり無骨な感じがいいんですよ。ミュージックビデオも飲み屋街の裏道みたいなところでひっそりと歌っている感じが絶妙なんですよ。まあ言ってしまえば斉藤和義さんが歌うから最高なんですよ。
ちなみに、その昔まだ恋に恋をしていたころ、お付き合いしていた人に『歌うたいのバラッド』を歌ってほしいと一度だけお願いしたことがある。今考えるとただの勇者。
まあ、歌ってもらうどころか秒で「俺は斉藤和義じゃない」と一刀両断されましたけどね。
(文:関取花、イラスト:オザキエミ)