歴代総理の胆力「片山哲」(1)国の舵取りなど夢想だにしなかった (2/2ページ)

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 さらには、社会党の基本政策であった石炭の国家管理を法律で定めることを実現させた。当時の日本の唯一の地下資源はこの石炭だったが、全国の産炭地で“石炭成金”が続出していた。これは片山の人道主義の考え方とは大きく乖離するものであり、一方で増産は国家管理でやればより効率的という発想だったのである。

 結局、この「炭管」と言われた炭鉱国家管理法案は、与党を組む民主党が反対したため修正に次ぐ修正のうえ、ようやく5カ月をかけて成立させたものだった。政権8カ月のうち、5カ月間のエネルギーをかけた法案成立だったのである。

 ちなみに、当時、民主党の1年生代議士にして法務政務次官だったのちに総理のイスにすわることになる田中角栄が、この炭管法案を潰すため炭鉱業者100万円の小切手を受領したとして、贈収賄罪に問われている(注・一審有罪、二審無罪)。

 そうこうする中で、一方で労働運動の激化、あるいは農林大臣の罷免問題で閣内不一致が起こり、足元の社会党でも左右両派の抗争が激しくなっていった。右派の片山は両派の統一に汗をかいたが失敗、ボロボロになりながらの予算の審議中に内閣総辞職を余儀なくされることになるのである。政権運営、政争いずれも不得手を見せつけた片山には、「グズ哲」の異名があったのだった。

■片山哲の略歴

明治20(1887)年7月28日、和歌山県生まれ。弁護士。日本社会党結成に参加。初代書記長、委員長を歴任し、昭和22(1947)年5月、内閣組織。総理就任時59歳。社会党左右両派に分裂で右派委員長。昭和53(1978)年5月30日、老衰のため90歳で死去。

総理大臣歴:第46代1947年5月24日~1948年3月10日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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