不器用すぎる親心?織田信長が子供たちにつけたユニークすぎる名前を一挙紹介!

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不器用すぎる親心?織田信長が子供たちにつけたユニークすぎる名前を一挙紹介!

戦国乱世の風雲児として時代を彩り、天下布武の覇業を推し進めた「第六天魔王」こと織田信長(おだ のぶなが)

「啼かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」

若いころから奇行に走って「大うつけ」と評され、その後も癇癪の強さや目新しいものを好んだことから、良くも悪くもユニークな人物として知られます。

そんな信長のセンスは子供たちの命名にも発揮されており、今回は信長が自分の子供につけたユニークな名前を紹介していきたいと思います。

信長の息子+娘たちの幼名一覧

さて、信長にはたくさんの子供がいましたが、まずは一覧にしてみましょう。

【信長の息子たち】
長男・信忠(幼名:奇妙丸)
次男・信雄(幼名:茶筅丸)
三男・信孝(幼名:三七)
四男・秀勝(幼名:於次丸)
五男・勝長(幼名:御坊丸)
六男・信秀(幼名:大洞)
七男・信高(幼名:小洞)
八男・信吉(幼名:酌)
九男・信貞(幼名:人)
十男・信好(幼名:良好)
十一男・長次(幼名:縁)

【信長の娘たち】
次女・見星院(幼名:五徳)
六女・総見院(幼名:振)

※娘たちについては本名が不明な者が多いので、一部割愛しています。

※誰を何男or女とするかについては諸説あり、こと娘に関してはより不確定なものとなっています。

元服・改名後の諱(いみな。本名)はそれぞれしっかりと立派≒無難なものがつけられていますが、幼名については信長が任意に決めたので、実にユニークなものが多いです。

以下、一人ずつピックアップしていきましょう。

奇妙丸(長男・織田信忠)

織田信忠。Wikipediaより。

信長の後継者として何申し分ない資質が備わり、将来も嘱望されていた嫡男・信忠ですが、どういう訳か信長は彼の出生を奇妙に思ったようです。

と言って、思ったことをそのまんま子供の名前につけてしまう信長の精神状態の方が、よほど奇妙に感じられるのは筆者だけではないはずです(口にしたら斬られそうですが)。

茶筅丸(次男・織田信雄)

茶筅(ちゃせん)とは茶道で抹茶を湯とかき混ぜる道具ですが、出産の報せを聞いた時、お茶でも嗜んでいたのかも知れませんね。

とりあえず目についた物を名前にしたのであれば、もしかしたら「袱紗(ふくさ)丸」とか「茶杓(ちゃしゃく)丸」なんて名前になった可能性もあります。

三七(三男・織田信孝)

織田信孝。Wikipediaより。

三男だから三は判りそうなものですが、七って何なのでしょうか。

別に3月7日生まれではないし、信長が37歳の時に授かった子という訳でもないし、掛け算して21にまつわるエピソードも特に見当たらず……。

もしかしたら、例によって?信長が思い付きで命名した可能性も否定できないため、あまり深く考えない方がよさそうです。

於次丸(四男・織田秀勝)

「……次!」そんな信長の声が聞こえて来そうなネーミングです。弓の稽古でもしていて、次の矢を催促していたのか、家臣たちに試合でもさせていたのか、そんなぞんざいさが感じられます。

あるいは服が破れたので継ぐ(かがる)ための布を持つよう命じたのか、どの説にしても、あまり深く考えていないことは間違いないでしょう。

御坊丸(五男・織田勝長)

御坊(ごぼう)とは文字通り「おぼっちゃま」の意味ですが、信長が自分の子供をそんな猫っ可愛がりするとは思えません。

他にも具はあっただろうから、もしかしたら「人参」になったかも?(イメージ)。

もしかしたら味噌汁に牛蒡(ごぼう)でも入っていたのを口走り、それでは不憫だと家臣たちが漢字を変えたのかも知れません(信長も、名前の漢字表記など気に留めなかったでしょう)。

大洞&小洞(六男・織田信秀&七男・信高)

明らかにセットにされた二人の幼名は「おおぼら」と「こぼら」。

まるで法螺吹きみたいですが、何か気宇壮大な出来事でもあったのか、あるいは眉唾な話でも聞かされたのか、いずれにしても思ったことをすぐ口にして、それが名前にされてしまう習慣はすっかり定着していたようです。

酌(八男・織田信吉)

鍋と酌(お玉)。

母親の名前が「鍋」だから、その子は酌(しゃく。お玉)でよかろう……というのが命名の理由らしいです。

しかし、お鍋の方は既に子を産んでおり、これもまた例によって信長の気まぐれでしょう。

人(九男・織田信貞)

そりゃあ確かに犬や猿の子ではなく、人の子だから人で間違いではないのですが……この辺りになると、もう信長もいよいよ名づけが面倒になっていたのかも知れません。

それにしても、こうした粗雑極まる信長の命名に対して、周囲が止めないのは解るとしても、何も思わなかったのでしょうか(面と向かって言えなくても、陰口の記録くらいは残っていそうなものです)。

良好(十男・織田信好)

「御屋形様、お加減は?」とでも訊かれたのかも知れません。「うむ、すこぶる良好!」そう溌溂と答える信長の上機嫌顔が目に浮かぶようです。

読みは恐らく「りょうこう」でしょうが、諱のように読むなら「ながよし」と読めなくもありません。

縁(十一男・織田長次)

読みは「えにし」か「えん」か「ふちorぶち」か「へり」、あるいは「ゆかり」だとちょっと女性みたいですね。

畳の縁(へり)。

何かよい御縁にでも恵まれたのか、あるいは畳の縁(へり)にけっつまづきでもしたのか、読み方の多さから色んなエピソード(可能性)が想像できます。

五徳(次女・見星院)

五徳(ごとく)とは鍋などを火にかける時、適切な間隔を保つための金具で、現代でもガスコンロなどで使われていますね。

囲炉裏や火鉢をチミチミといじくり回す信長の姿は日頃の激しさに比べると意外な感じですが、信長だって人の子ですから、時にはそんなこともあったでしょう。

振(六女・総見院)

女の子だから晴れやかな振袖の振……なんて事はなさそうです。だって信長ですもの。そもそも振袖と言う単語がまだ一般的ではありませんでした。

となると、何かを振り回すような出来事でもあったか、信長も(例によって?)何かムシャクシャしていたのかも知れませんね。

変な名前をつける意味は?

以上、信長が子供たちにつけたユニークすぎる名前を紹介してきましたが、これはただ信長が奇人変人だから、だけでない理由があります。

とかく昔は子供が亡くなりやすく、その原因は「神様がこの世へ授けた子供を冥界(あの世)へ召し返してしまうから」とか「悪霊がさらっていくから」などと考えられていました。

そこで、子供が成人して魂がこの世に定着するまでの間、あえて変な名前をつけることで「これ(=子供)は人間じゃありませんから、連れて行かないで下さい」というメッセージを発する習慣もありました。

※現代でも、そういう習慣は世界各地に残っており、例えばモンゴル人は生まれた子供に「犬の子(ノホイフー)」とか「虫けら(ホルホイ)」などと名づけることもあるそうです。

いつの時代も、子供は宝。いつまでもこの世で幸せに生きて欲しい……もしかしたら、ユニークすぎるネーミングセンスは信長の不器用な親心だったのかも知れませんね。

※参考文献:
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣、1999年

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