悲劇と喜劇は紙一重。失敗の物語には落語が必要だった「いだてん」第44話振り返り (2/2ページ)
こういうオチがあって終わるのですが、志ん生の「替り目」は女房に全部心の内を聞かれてしまった前半部分で終わるのです。
44話では、志ん生が「替り目」をやりながら、映像では酔っ払って帰宅するまーちゃんが描かれます。家の前に犬がいるところから、何から何まで落語に沿っているのです。
まーちゃんは結婚してから今までずっとオリンピックばかり。そんな自分の世話をしてくれるのは菊枝のほかにはいない、と語ります。
一方、志ん生も同じです。志ん生は公園で稽古をしています。五りんが「一杯どうですか」と誘うのですが、入院中にも酒を求めた志ん生がそれを断ってしまうのです。「潮時ってものがある」と。今まで散々酒で失敗してきて、明日失敗したら二度と高座には上がれない。明日ダメならそれが潮時だ、と。
志ん生は五りんを帰し、ひとり「替り目」の稽古を始めます。そして、その様子を陰で見守っているのが妻のりんでした。ここでもやっぱり「妻にすべて聞かれている」のでした。
失敗の物語と落語まーちゃんの失敗は高橋是清に直談判したところから始まっていました。また、この作品に描かれた失敗はそれだけではありません。語り手である志ん生は数えきれないくらい失敗していますし、作品中盤で描かれた戦争も大きな失敗です。
そして、「いだてん」の語りとして大きな役割を担っている落語こそ、涙あり笑いありのオチがある芸能です。登場人物は何かしら失敗して、それが笑いになったり、ときには感動させられたりする。「いだてん」の主人公たちは、落語と同じように失敗からまた何かを見つけ、立ち上がるのです。
また、チャーリー・チャップリンの名言に「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」というものがありますが、まさにまーちゃんの人生がそれなのかもしれません。
オリンピックに人生をかけてきたのに、不本意にも解任させられることになったまーちゃんは、彼に寄り添ってみる分には悲劇です。しかし、テレビで会見を見ている今松は大爆笑。誰かにとっての悲劇は、他者から見れば喜劇。皮肉っぽく面白い演出でした。悲劇と喜劇は紙一重で、落語の面白さのひとつはそういうところにあるのかもしれません。
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