渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の”仕事人”蟻通勘吾の美学【上】 (3/4ページ)
闇夜の乱闘ということもあって、誰が誰を斬ったかなど、詳細な記録はほとんど残っていませんが、勘吾の愛刀・昭重は帽子(ほうし。刃の尖端部分)が折れてしまったとの事で、戦闘の激しさを物語っています。
池田屋から凱旋した後日、勘吾は会津藩から十七両(現代の価値でおよそ80万円?)の報奨金を受領(※厳密には会津藩からの報奨金を、土方らが配分)しており、井上源三郎や斎藤一(さいとう はじめ。三番組長)、原田左之助(はらだ さのすけ。十番組長)らと同額であることから、その活躍が高く評価されたのは間違いないでしょう。
屯所を守った八十八たちは……その一方で、屯所(とんしょ)の留守を任されていた八十八たちは「斬り込みに参加していないから」と報奨金は無し。
少なからぬ隊士が不満を訴えたであろうところ、土方は「生命を賭けた者が相応に報われるのは当然であり、恩賞が欲しいなら次の機会に頑張ればよい」として退けましたが、これは少し話が違うようにも思われます。
池田屋への斬り込みメンバーが志願制であったならともかく、人員の割り当ては命令によるものであり、これでは屯所の警備や後方支援を命じられた瞬間に「報奨金なし」が確定してしまい、任務に当たる隊士の意欲は大きく削がれてしまうでしょう。