伝承の謎を調査!鎌倉の鶴岡八幡宮にも安芸の宮島みたいな「海上鳥居」があった!?

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伝承の謎を調査!鎌倉の鶴岡八幡宮にも安芸の宮島みたいな「海上鳥居」があった!?

鎌倉三大名所の一つ、鶴岡八幡宮(後の二つは大仏=高徳院、銭洗弁天=宇賀副神社だそうです)。

その社殿に向かって海(由比ガ浜、相模湾)から真っすぐのびた若宮大路(わかみやおおじ)を歩いていくと、途中に三つの鳥居を通過しますが、最近こんな話を伺いました。

「実はね。昔、もう一つ鳥居があったんだよ」

『鎌倉大観』より、鶴岡八幡宮「四ノ鳥居址(黄丸部分)」。若宮大路の延長線上、海の中に鳥居がある。

そう言って見せて下さった地図には、若宮大路の末端より先の海中に「四ノ鳥居址」と記されています。

もしこれが本当なら、鶴岡八幡宮もかつては安芸の宮島(厳島神社)や箱根神社のようにフォトジェニックな鳥居を持っていた?ことになります。

ちょっとワクワクしながら、さっそく調査してみたのでした。

海上鳥居が実在した可能性は限りなく低い

……が。結論から先に言いますと「若宮大路に四つ目の海上鳥居があった可能性は、限りなく低い」ようです。

なーんだ、残念……しかし、せっかくなのでその根拠を繙(ひもと)いていきましょう(※理屈っぽくなるので、ご興味ある方はおつき合い頂ければと思います)。

まず「海上鳥居があった」とする根拠として、冒頭の地図を載せている『鎌倉大観(明治三十五1902年出版)』では、本文中に「若宮大路の正面の海中に昔八幡宮四の鳥居ありしが今はなし」という記述があります。

その根拠として『鎌倉大観』では室町中期の高僧・道興(どうこう。永享二1430年生~文亀元1501年没)が長享元1487年に著した『廻国雑記』という紀行文の中にある

『廻国雑記』を著した道興(イメージ)。

「朽ちのこる鳥居の柱あらはれて(現れてor洗われて)由比が濱邊(=由比ガ浜)にたてる白波」

という短歌を挙げており、白波に洗われて鳥居の遺跡が出現した……そんなロマンチックな情景が目に浮かびますが、この「鳥居の柱」が「四の鳥居」とは明記されておらず、根拠としては決め手に欠ける印象です。

ちなみに、鳥居の位置は現在地以外にも確認されており、かつて一の鳥居~二の鳥居の間(鎌倉女学園より八幡宮寄り)に「浜の大鳥居」跡が平成二1990年に発掘された事が、少し話題になりました。

しかし、それは最も海岸線に近い一の鳥居よりも内陸側であり、一の鳥居をさし措いて海上に建っていた可能性は考えられません。

また、他の史料や古絵図を確認しても「若宮大路に同時に四基の鳥居があった」ことが確認できる記述や描写は登場しません。

「由比の浜に至るまでに、石の鳥居三基有」
※梨木祐之『祐之地震道記録』元禄十六1703年

「石の鳥居由井の浜まで三つ有」
※玉舟和尚『鎌倉紀』延宝八1680年

以上の根拠から、少なくとも江戸時代中期(17世紀)以降に若宮大路に「四の鳥居(海上鳥居)」は存在しなかったようです。

ちなみに、大正五1916年に出版された『鎌倉名勝誌』には「この外若宮大路正面の海中に猶一つの鳥居があつたが今はない。俗説」と記述されており、海上鳥居については俗説≒フィクション?という見解が定着していました。

絶対になかったとは言い切れない?

しかし『鎌倉大観』の根拠は室町中期の『廻国雑記』なのだから、江戸時代よりもっと昔には四の鳥居があったのかも知れない……そんな可能性も否定できないことはありません。

幕末~明治初期の若宮大路。Wikipediaより。

その可能性を追求してみると、まず源頼朝(みなもとの よりとも)公が若宮大路を整備したのは寿永元1182年ですから、鳥居が建てられたとすればこれ以降になるでしょう。

しかし、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡(あづまかがみ)』に海上鳥居の記録はなく(そんなランドマーク的なものがあれば、誰かが言及したり、そこで何かエピソードを残しそうなものです)、となると『吾妻鏡』でカバーされていない文永四1267年以降に誰かが建てたのかも知れません。

幕府の滅亡後も、鎌倉は東国の要衝として重要な役割を果たしていましたから、鎌倉に縁(ゆかり)のある有力者が何かの祈願か奉賽(ほうさい。神様へのお礼)に海上鳥居を奉納したものの、木製の鳥居が風雨によって朽ちてしまい、数十年から百数十年以上の歳月を経た残骸が道興に詠まれたことが口伝えに……そんな可能性も「絶対にない」とは言い切れません。

(※その後、潮流によって完全に流失してしまえば、平成十五2003年に海中を調査したところで何も遺構が発見できないのも道理です)

鎌倉の海にも、立派な鳥居があったかも?(イメージ)。

鎌倉の海にそびえ立つ大鳥居……かつてあったかも知れないそんな眺めに想いを馳せてみるのも、鎌倉散策の一興と言えるでしょう。

※参考文献:
佐藤善次郎『覆刻 鎌倉大観』かまくら春秋社、昭和六一1986年
大月隆『廻国雑記』文学同志会、明治三二1899年
澤寿郎『鎌倉古絵図・紀行』東京美術、昭和五一1976年
佐成謙太郎『鎌倉名勝誌』鎌倉名勝誌発行所、大正五1916年
原田寛『鎌倉謎解き街歩き』実業之日本社、平成二六2014年

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