松田聖子と神田沙也加“音信不通5年”「母娘憎悪の真相」! (2/3ページ)

日刊大衆

 さらに2017年には、沙也加サイドに聖子から“事務所の名前を使わないで”とクレームが入ったため、沙也加サイドはやむなく新事務所を設立したといいます。2017年といえば、沙也加が村田と結婚式を挙げたのと同時期で、クレームは結婚に反対する聖子の“横槍”だと『週刊文春』では報じていますが、これだけに限らず、聖子・沙也加母娘のいさかいは、長年にわたって続いているんです」(芸能記者)

■110番通報されるほどの母娘ケンカ

 2004年には、当時のSAYAKAこと神田沙也加と松田聖子が、物を投げ合う大ゲンカに発展。ガラスが割れ、怒鳴り声が飛び交うという、あまりの激しさに、近所の住人が通報し、警官が駆けつける騒ぎになったと『女性セブン』(小学館)をはじめ、さまざまな週刊誌が報じている。

 ケンカの原因は、沙也加が当時交際していた12歳年上のギタリストとともにアメリカで活動したいと聖子に申し出たところ、猛反対されたことだという。

「日本にいると聖子が何かと介入してくることにも嫌気がさし、沙也加はアメリカに“駆け落ち”したいと思うようになったと『女性セブン』では報じています。ケンカの中で、沙也加は“ママは世界一最低”と捨て台詞を吐いて、2人は決別したといいます」(前出の芸能記者)

 沙也加は大ゲンカ後、家を飛び出し1人暮らしをしていたが、当時の恋人とは破局し、仕送りを止められ、生活に困っていたため、2006年2月には聖子に謝り、実家に戻ったと2008年3月の『週刊現代』(講談社)では報じている。

「当時2人が壮絶な大ゲンカを繰り広げたのは、さんざん聖子に振り回され続けた沙也加の鬱憤が爆発したからでしょう。沙也加は小学校卒業後、エスカレーター式の私立中学への進学が決まっていたのですが、入学ギリギリになって、聖子が歯科医と結婚し、ハリウッド映画に出演するため渡米したことで、生活環境が一変。

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