巨人軍・長嶋茂雄「永遠のミスタープロ野球」すごすぎ伝説•名言

日刊大衆

写真はイメージです
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 ミスターがいないと野球はつまらん――そうお嘆きのオールドファンに記憶に残る傑作エピソードを特選!

 巨人逆転のチャンス……。「審判! 代打、元木」 長嶋茂雄監督が代打を告げる。バッターボックスへ向かう元木を手招きして、ミスターはこうささやいた。「いいか大介、打つと見せかけて、ヒッティングだ」 ご存じ、有名な“ミスター伝説”の一幕だ。

 王貞治氏とともに巨人のV9の中心選手として活躍。現役引退後も、監督として球界の話題を独占した不世出のスーパースター。その一挙一動は、常に注目されてきた。「おとぼけエピソードが多いのは、ミスターの尋常ならざる集中力のなせる業。あの人は、一つのことに集中すると、他のことが“お留守”になるタイプ。まあ、天性のアスリートと言うべきかもしれませんね」(長嶋氏を知る球界関係者)

 2019年シーズンで現役を引退した阿部慎之助(現・二軍監督)の東京ドーム最終戦(9月27日)。巨人軍終身名誉監督として、長嶋氏は、阿部激励のために久しぶりに球場に足を運んだ。「両脇を球団職員に抱えられながらの歩行でしたが、顔を見ると血色、肌つやともよく、リハビリが順調に進んでいることが分かりました。春季キャンプの視察は難しいでしょうが、開幕戦を含め、来季はドームでミスターの姿を目にすることが増えるはずです」(巨人軍関係者)

 ミスター秘話として真っ先に思い出されるのが、“食”にまつわるもの。とにかく、豪快なのだ。「ミスターとは何度も食事をしていますが、メロンの食べ方は本当に異様。レストランで食後に出てくるメロンを必ず、二口で食べてしまうんです(笑)。 ふぐの食べ方も同じです。当時、銀座の並木通り沿いに読売関係者御用達の割烹屋があったんですが、ミスターは、ふぐ刺しを箸でツーッとまとめて、一口で食べてしまうんですよ。ちなみに、金田正一さんも、ミスターと同じ食べ方でしたね」(前出の球界関係者)

 美食家で知るミスターだが、こんな仰天証言も。「あれは、1999年シーズンのオープン戦でした。長嶋巨人はオープン戦を優勝し、協賛していたサントリーから賞金1200万円をゲットしたんですよ。ミスターは、賞金は選手とコーチ全員で平等に分けろと指示。秘書が“約50人いるので、1人24万円くらいになります”と伝えると、ミスターは、“ふ~ん、ちょうど1食分になるじゃないか”って。1食20万円を超えるって、どんな食事なんでしょうか(笑)」(スポーツ紙デスク)

 この感覚は、長嶋家で育った息子の一茂氏にも受け継がれているという。

■息子の長嶋一茂もメロンといえば

「現役時代のデーブ(大久保博元)さんに聞いたんですけど、ケガをしたデーブさんに、長嶋監督からお見舞いの高級メロンが届いたんだそうです。デーブさんは感激して、一茂に“桐の箱に入ったメロンなんて初めてもらった”と言ったら、一茂が“デーブさん、メロンは桐の箱に入っているに決まっているでしょ”と。長嶋家、すげ~と思ったそうです(笑)」(前同)

 とはいえ、ミスターが高級品ばかり口にしているのかと言うと、そうではない。「選手時代は、朝はトースト、コーヒーにバナナ。お昼は好物の中華を腹いっぱい。これがメインで、あとは球場でうどんなんかを食べることはあっても、基本的に夕食はとらない。節制していましたね。また、宮崎キャンプの、昼食で出る学食みたいなコロッケが大好物でしたね」(夕刊紙の古参記者)

 記者などを連れて高級店に会食に行った際は、「知らない間に支払いをすませてくれているのが常。本当に金にはクリーンな人でしたよ」(前同)

 食にまつわるエピソードとともに、関係者が指摘するのが、“ど忘れぶり”だ。「監督時代の巨人のチーフトレーナーに、ハギワラさんという人がいました。みんな“チーフ”とか“ハギちゃん”と呼んでいたんですが、ミスターだけは、いつまでたっても“オギワラさん”と呼んでいた(笑)。萩原と荻原は漢字が似ていますけどね。最後は、ハギワラさんも、ミスターに“オギちゃん”と呼ばれると、“はい!”と返事するようになりましたね」(同)

 “天然”ぶりを示す、こんなエピソードも。「ミスターが監督時代、某大物選手をFAで巨人入りさせるべく調査を依頼されたんです。球団ではなく、ミスター個人に依頼されて動いていました。それで、進展があったら、その都度、ミスターに電話で連絡を入れていたんですけど、あるとき電話したら、“へー、なんで君は〇〇(選手名)のこと、そんなに詳しいの?”だって。思わず、“あんたが調査を依頼したんでしょ!”って(笑)」(前出の球界関係者)

■英語と日本語のちゃんぽんで話す理由は?

 お茶目なミスター伝説は枚挙にいとまがないが、選手時代はどうだったのか。V9時代のチームメイトである解説者の黒江透修氏が述懐する。

「僕は長嶋さんより3つ年下なんだけど、“長嶋さん”とは呼ばず、だいたい“チョーさん”とか“ミスター”って呼んでたね。あの頃は遠征に行くと旅館に泊まってたんだけど、だいたい、オレと土井(正三氏=故人)がミスターと同室になるんですよ。いろいろな話をしてもらったけど、面白いのが、当時の人気番組『スター千一夜』に出ることになったらというアドバイス。ミスターは、“テレビ番組では絶対におちゃらけるな”って。“本職の野球のときはおちゃらけてもいいけど、番組に呼ばれたときは、しっかり受け答えしろ”って言われたな」

 ミスターは旅館で寝るときも、枕元にバットを置いて寝ていたという。「夜中に人の気配がして起きたら、ミスターが真っ暗な部屋で、無言でバットを見つめてるの。すると、やおら立ち上がって、ビュンビュン素振りを始めるんですよ。。本当に練習熱心でしたね」(前同)

 ミスターが“練習の虫”だったことは有名で、ルーキー時代のキャンプで、水原茂監督に意見したくらいだという。「先輩記者に聞いた話ですが、ミスターが新人の頃の巨人のキャンプは、練習が昼頃に終わって、あとは麻雀に興じていたんだとか。 ただ、ミスターは立教大学時代に砂押(邦信)監督の猛練習に慣れていたから、水原さんに“こんな練習でいいんですか!”って食ってかかって。水原さんは “長嶋、出過ぎた真似するな”って怒ったようですけどね」(前出のデスク)

 ただ、ミスターは水原監督を慕い、その影響を強く受けているという。「ミスターがお洒落に英語と日本語のちゃんぽんで話すのは、水原さんの影響。水原さんはダンディで、英語をよく使う人でしたから」(前出の古参記者)

 “メークドラマ”“メークミラクル”“ミラクルアゲイン”……確かに、ミスターの会話では、英語がポンポン飛び出す。ただし、中には「?」がつくものも。「“THE”を“テヘ”と読んだことがあるのは有名な話です。メジャーリーグの視察に行った際に、“さすがお祭り好きのアメリカだ。球場の至る所にエキサイトって書いてあるよ”と言うから見たら、非常口の“EXIT”だったという話もあります」(前同)

■張本 勲が長嶋監督にビンタされて

 素顔はお茶目で、野球においては1ミリも妥協を許さないのが、ミスターの流儀。そのすさまじい集中力は、野村克也氏の十八番である「ささやき戦術」も、つけ入る隙がなかったという。

「あるときノムさんが、打席に入ったミスターに、“次はスライダー投げさすで”とささやいたんだとか。ノムさんは、スライダーではなくストレートのサインを出して投げさせたら、ミスターは快音を轟かせ、バックスクリーンにホームランを打ったんだとか。満面の笑みでダイヤモンドを一周してきたミスターがノムさんに、“本当にスライダー投げちゃダメだよ”と。ノムさん、頭を抱えたといいます(笑)」(同)

 思い込んだら命がけ。長嶋茂雄、恐るべしなのだ。「川上哲治監督が出すサインも、あまり見ていなかったようですね。そのことでコーチに怒られたときの啖呵が、また小気味いい。“僕は、巨人の4番ですよ。サインは『打て』以外にないでしょう”と、真顔で言い返したとか」(同)

 こんなミスターも、監督になると豹変する。“やんちゃ”で知られた張本勲氏が、長嶋監督にビンタされたエピソードをテレビ番組で披露しているのだ。「スクイズのサインを見ていなくて、俺にバントなんかさせるのが悪いって吠えたら、長嶋監督がやって来て平手打ちされたんだ。で、“なんで監督のサインに従わないのか。お前が将来、指導者になったら、この気持ちが分かるはずだ”と。目が覚めました。長嶋さんに一生、ついていこうと思いましたよ」

 監督としての執念は、1979年の“地獄の伊東キャンプ”でも確認できる。「猛特訓のおかげで、5位から3位に浮上した長嶋巨人。ミスターは再度、伊東キャンプをやると言いましたが、球団の答えはノー。そこでミスターは、“自分が全費用を払うから伊東でやる”と言いだしたんです。その直後に、監督を解任されたのは無念だったでしょうね」(球界関係者)

 人々を魅了してやまない我らがミスターの伝説は、永遠に不滅である。

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