山口百恵・桜田淳子・森昌子ほか伝説の「三人娘」秘話公開

日刊大衆

画像はイメージです
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 歌手の森昌子が2019年(令和元年)いっぱいで、2度目の引退をする。「3人の息子は成人し、長男と三男はミュージシャンとして活躍。経済的な心配がなくなった今、“静かな生活を送りたい”というのが、本心なんだと思います」(芸能リポーターの石川敏男氏)今のところ、NHK『紅白歌合戦』の出場者リストに彼女の名前はないが……。

「スペシャル枠での追加出場を期待する声も大きい。ただ、NHKがそれをやるかどうかは、なんとも言えませんね」(前同)

 今年は、山口百恵の近影が公開されたこともあり、かつての「花の中三トリオ」が再注目された。 そんな年を締めくくる意味で、ここでは「中三トリオ」を含む、日本の芸能史に残る3組の「三人娘」の秘話を届けたい。

「三人娘」の元祖はもちろん、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみである。ひばりは8歳で初舞台を踏み、1949年(昭和24年)に12歳で映画初主演。その主題歌『悲しき口笛』を大ヒットさせている。チエミは、15歳になったばかりの52年(昭和27年)1月に『テネシーワルツ』でデビュー。“美空ひばり以来の天才少女”と呼ばれる。中学卒業後、進駐軍クラブで歌うようになったいづみは、53年(昭和28年)にレコードデビューし、短期間でスターの地位を得る。

「3人の天才少女は、比較されるようになっていく。所属先が別だったのでトリオとしての活動はなかったものの、“そろって歌うシーンを見たい”という声は大きく、東宝が共演映画を実現させるんです」(映画ライター)55年(昭和30年)公開の『ジャンケン娘』である。「クレジットはひばりがトップですが、ポスターではチエミが真ん中に。また、ラストの歌唱場面では、いづみがセンターです。力が強かったひばりサイドが、他の2名を立てていたのかもしれません」(前同)

「三人娘」と呼ばれ、心を許せる親友同士になった3人だが、どうしても周囲は芸歴が長いひばりを特別扱いしがちだった。だが、他の2人との間に溝はなかった。「今以上に特殊な世界だった当時の芸能界で、同年代の友達は、ひばりさんにとって大切なものだったと思います」(前出の石川氏)

 同じ37年(昭和12年)生まれの3人には、いくつもの共通点があった。「少女時代から歌で家計の一部を支えていたことが一つ。また、結婚に失敗したこと、そして、身内に苦しめられ、どん底を経験したことも共通しています」(スポーツ紙記者)

 ひばりは19歳の頃に、バックバンドのマスターである小野満と婚約するも、しばらくして関係を解消。「その数年後に、対談で出会った小林旭さんに夢中になるんです」(前同)

 どうしても結婚したかったひばりは、ある超大物に相談する。「当時、後見人だった山口組の田岡一雄三代目組長です。三代目は小林宅を訪ね、“天下のひばりが惚れたと言うとんのや。男冥利に尽きるやろ”と結婚をプッシュしたといいます」(同)だが、この結婚生活は短期間で破綻。以後、彼女は独身を貫くことになる。また、ひばりは、弟の反社会的な行動により、『紅白』から追放され、全国のホールから締め出しを食うなど苦しい時代を過ごす。

■いづみ、チエミもどん底を経験

 いづみは、61年(昭和36年)に米国人男性と結婚。一児(タレントの朝比奈マリア)をもうけるも離婚。2度目の結婚も失敗した。「雪村さんは母親の浪費癖に泣きます。豪邸を建てたうえ、彼女に無断で、家賃収入目的にアパート、さらに自分の再婚相手の医師のために病院を建てたんです。さすがに娘の収入だけでは賄まかないきれず、多額の借金をすることになります」(同)

 最も悲劇的だったのは、チエミだろう。「映画の共演で知り合った高倉健さんと相思相愛になり、59年(昭和34年)に結婚。幸せな毎日を過ごしていました。そこに、あるとき、義理の姉だと名乗るA子が現れ、以後、不幸の連鎖が始まります」(全国紙記者)

 この異父姉は、スターである妹へ、計画的に近づいたのだった。「A子はチエミさんの信頼を得て、付き人兼家政婦的な立場に収まります。そこから、夫婦が互いに不信感を抱くように、双方にでっち上げの中傷を吹き込み、別居に追い込みます。また、財産を横領し、チエミさん名義で億単位の借金までするんです」(前同)

 この件で、チエミは、「これ以上、迷惑をかけられない」と離婚を決意。また、その前には自宅が全焼する悲運もあった。「訴えられたA子は実刑判決を受けました。もともと酒豪だったチエミさんは以後、酒量がさらに増加、それが早すぎる死につながるわけです」(同)

 その後、登場したいくつかの三人娘の中で、まず、特筆すべきなのが南沙織、小柳ルミ子、天地真理だ。なぜなら、彼女たちは“アイドル”の礎を築いた存在なのである。「もともと“アイドル”という言葉は、プロデューサーの酒井政利氏が71年(昭和46年)に南沙織を手掛ける際のコンセプトとして用いた言葉。つまり、彼女こそがアイドル第1号なんです」(レコード会社社員)

 そして、同期デビューの小柳ルミ子、天地真理とともに、新たな「三人娘」と称されることに(後年、便宜上「新三人娘」に)。

「南は、写真1枚でスカウトされた天然素材。ルミ子は、歌手になるために宝塚音楽学校に入り、首席で卒業した努力家。天地は、音楽高校に通い、ピアノや声楽を習ったエリート。経歴は三者三様でした」(芸能記者)

 キャラクターも違った。「ルミ子は、しっとり歌い上げる清純派。天地は、ヒラヒラの衣装で歌う典型的なアイドルの元祖です」(前同)南には、ニューミュージックの色があった。「彼女は、荒井由実(当時)の作詞曲を歌ったり、矢沢永吉に『五大洋光』なるペンネームで曲を提供されています。山口百恵が宇崎竜童、さだまさし谷村新司の、桜田淳子が中島みゆきの曲を歌う流れの源流は、そこにあるんです」(同)

 現在発売中の『週刊大衆』12月30日号では、森昌子、桜田淳子、山口百恵の「花の中三トリオ」の秘話も公開している。

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