破天荒で壮絶な人生を駆け巡った戦国時代の武将「松永久秀」その2

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破天荒で壮絶な人生を駆け巡った戦国時代の武将「松永久秀」その2

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破天荒で壮絶な人生を駆け巡った戦国時代の武将「松永久秀」:その1

さて、長慶の死をきっかけに、弱体化していた室町幕府第13代将軍の足利義輝が権力を復活させようとします。義継と、久秀の嫡男・松永久通、そして三好三人衆(三好長晩・三好政康・岩成友通)らが京に攻め入り、義輝を殺害。宣教師のルイス・フロイスは、『日本史』にて、「この事件の首謀者は久秀」と書き残しています。

やがて久秀は三好三人衆との大陸を深め、抗争を繰り広げることになります。しばらく劣勢に追い込まれた久秀でしたが、1567年東大寺に集まっていた三人衆を破りました。そのときの戦いで、東大寺の大仏を全焼させています。

先に、織田信長が述べた「久秀の三つの大罪」というのは、

主君である三好長慶を死に追いやったこと 第13代将軍・足利義輝を殺したこと 大仏殿を焼失させたこと

を指しています。

尤も、ルイス・フロイスの前掲書によれば、大仏殿を放火したのは三好三人衆側のキリシタンだともされています。

今となっては真実はわかりませんが、久秀が大仏殿を焼失させたといわれるのもそれだけ久秀が破天荒だったことによるものでしょう。

三好三人衆を破った久秀は、やがて足利義昭や織田信長などと同盟を結びます。そして、2人の後ろ盾を利用して勢力を拡大。事実上、信長の家臣になりました。

ところが、1572年、久秀は信長に反旗を翻します。三好義継や三人衆と組んで、信長に一戦を挑みますが、負けてしまい降伏します。自身の愛刀などを献上しようやく許しを得ます。ところが、久秀は、性懲りもなく再び信長を裏切ります。

1577年、石山本願寺との戦闘の最中、久秀は突然戦闘を離脱すると、居城の信貴山城に立てこもってしまいます。それに激怒した信長は、4万の兵を久秀に差し向け、8000しか兵がいない久秀を制圧。

茶の名器である「古天明平蜘蛛」の釜を差し出せば許す、と信長がいったにも関わらず信長の提案を拒否。平蜘蛛を叩き割って天守に火を放ったとも、平蜘蛛に火薬を詰め、爆死したともいわれています。

現在、静岡県にある浜名湖舘山寺美術博物館には「平蜘蛛釜」とされる茶釜があり、戦のあとに信貴山城跡を掘り起こした際に出土したものだと伝えられています。

久秀の遺骸は、ともに大和での覇権を争っていた筒井順慶によって達磨寺に葬られました。

策略家で裏切りもののイメージが強い久秀ですが、美男子で立ち振る舞いが優雅な教養人であったとも伝えられ、領地では善政を敷いて領民に名君としてしたわれていたとも伝えられています。

参考:海音寺 潮五郎『悪人列伝 近世篇』

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