天才テリー伊藤対談「横浜銀蝿40th」(2)どうして「銀蝿」をバンド名にしたの (2/2ページ)
いつも通っていた喫茶店のオヤジに「お前ら、毎日毎日、銀蝿みたいに店にたかってるんじゃねぇ」って言われていて、しまいには顔を出すと「おお、銀蝿ちゃん」なんて扱いになって。何か、その言葉のニュアンスが俺たちに合っているなと思ったんですよ。
テリー 服装もインパクトあったよね。サングラスに革ジャン、そして白くて太いズボン。
嵐 あれは昔から着ていた格好、そのまんまですよ。あのズボンは「ドカン」って言うんですけど、太くて足がよく上がるから、ケンカの時に蹴りを入れやすいんですよ。
テリー そんな実用性、聞いてないよ(笑)。でも、デビューして間もなく「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」が大ヒットして一躍、社会現象に。自分たちから見て、どういう印象でしたか。
嵐 当時からこういう感じで、しかもバンド名が「銀蝿」なのに、思ったよりも嫌われなくて(笑)。
翔 さっきも言いましたけど、俺らはとにかく目立ちたかったので。とにかくテレビに出たかった。まず「夜のヒットスタジオ」に出て、そのあと「ザ・ベストテン」の「もうすぐベストテン」コーナーに出たら、あっという間に注目されることになって。
テリー あの頃は、日本中に同じ格好をしたファンがいたよね。
嵐 俺ら、あの格好を文字どおり一年中していたんですよ。夏は暑いし、冬は寒いし(苦笑)。
翔 当時の事務所の社長から「その姿を見せることが宣伝になるんだから」と言われたので、そのまま実行していた。1人だけでいると銀蝿のマネをしているファンと間違えられそうで(笑)、どこへ行くにもできるだけ4人一緒に行動するようにしていたね。
テリー ハハハ、人気者はそういう苦労もあるのか。